十二月らしさ

ブログ「いらけれ」

平穏な?日常の只中に戻り、後ろを振り返ってみると点々と、ビルから見下ろす夜景のようにやってきたことが光っている。それは実体のない、虚しい輝きではなくて、確かにやったという誇りの灯りだ。何もしなかったら、何もなかっただろう。あの不幸も苦しみもなかったかもしれないけれど、その不幸や苦しみも含めて人生の味わいだ、とは思えないとしても、悪くないってニヤリと口角を上げるぐらいの余裕なら、手元にある。

まさか自分が、参加していた哲学カフェ(とは名乗ってないイベントだけど)のスタッフになるとは思ってなかったというのは嘘で、少しは思っていた。手伝えるものなら手伝いたいと、ちょいちょいアピールしていたのが良かったのだろうか。とはいえ、信頼できない人間は中に入れられないだろう、自分が悪人かどうかは、24時間一緒にいる自分にしか分からないのだから、信頼してもらえるように動かなければならないと考えて、できることをできる限りしていたのも、良かったのかもしれない。小さな努力って大事。
今のところは、会場の準備とか後片付け、企画のアイディア出しを手伝う程度だと思う。でも、いずれはもっと前に出る機会があるかもしれない、というか、かなりありそう。嬉しいけれど、その時は緊張しそうだと、今から緊張している。とにかく会場では中の人っぽく動くことになりそう(繰り返すが、大したことはしていない)なので、会についての感想などを書くのは控えようかなと思う。これまでもかなり気をつかって、個人名などは出さずに書いてきたし、それほど問題はないだろうが、「何か書かれるかも」と参加した人に思わせる可能性のあることは、避けておくべきだと思うから。でも、書かないけれど僕は居るはずだ。みんなも来たら良いと思う。
「デモクラシーCafe@東村山」

リビングに10年置いてあった観葉植物が咲いた。まず、花が咲く種であることを知らなかった。これまで咲かなかったから。この冬に、真っ赤な花をつけた。毒々しいほどに赤い。ハイビスカスなのだろうか、暖房の下に置かれていたから咲いたのだろうか、調べていないから分からない。幹から出た枝にはきれいな緑色の葉がたくさんついている。幹のてっぺんにその花はある。緑と赤のコントラストが美しいとは思えなかった。大きく口を開けているように見えた。生命の力強さには、時々、気味の悪さを覚える。3日咲いて、4日目には萎れていた。干からびて、手前の葉に引っ付いていた。それを見て僕は、なんだか安心してしまった。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤