みかめ
部屋の掃除をしながら僕は、「きれい好き」という言葉について考えていた。それは確かに、惨状としか表現しようのないものだったし、呼吸一つで肺が汚れるような環境で、平気な顔をしていたのかもしれない。それでも僕は、きれいが好きではないわけではなかった。部屋だって身なりだって、何だってきれいならきれいに越したことはないと、僕もそう思っていた。それでも汚れを許していたのは、汚いがそこまで嫌いではなかったということで、だからつまり、置かれた棚の上で指を滑らせても、ほこり一つ付かないような、きれいな部屋をキープしている人は、「汚い嫌い」と呼んだ方が正確なのではないだろうか。
本当にどうでもいい話なんだけど、飯を食うために、夕方のワイドショーを仕方なしに見ていて、それは横浜の大学だった、学食には名物の丼メニューがあり、学生たちはそればかり頼む、近所の人ばかりか、噂を聞きつけて県外から食べにくる人もいるという、茶色い肉と水菜が乗っていた、水菜じゃなくてキャベツとかの方がいいと言って、僕もそう思った、水菜の苦みが口の中に広がった、時を同じくして、大学時代のことを思い出した、これはマドレーヌで過去が蘇るようなものだろうか、学食は人で埋め尽くされていた、入学したばかりの頃、一年生はそれぞれに先生が割り当てられ、ゼミというにはあまりにも中身のない話を聞かされることになる、その顔合わせが行われた日で、同じゼミの男が、入学式で隣だったという男を連れてきて、いくつかの机が接続され大きな机になっている端の4席を、僕たちは占拠していた、何の話をしたのかも思い出せない、でも頑張って、努めて明るく振る舞っていた、大学生というものは、そうやって人付き合いをしないと、後々単位という命を失うと、そう聞いていた、確か学生時代にやっていたスポーツの、剣道でどこまで行ったとか、ゴルフの推薦で入ったとか何とか、それからしばらくは、大教室で顔を合わせた時には隣に座っていた、斜め前方に座っている女の子が好きだ、かわいいから見てみろ、あこっち向いた、聞かれたんじゃねと言う、ほどなくして、学内で姿を見かけなくなった、僕は気にせず律義に大学へ通って、ノートを取っていたら、単位を落とすことはなかったし、GPAの点数も良かった、そこで初めて、頑張る方向を間違えていたことに気が付いた、という全部が思い出。
早く起きなければならないから、早く寝るために、最高速度で書いた。余裕をもって前もって、書き終えておくなんて器用なことはできない。猪武者。猪武者という言葉を、ロンブーの田村淳のインタビュー記事を読んで知った。いつも何についても、知り過ぎているか知らな過ぎていると思う。無の境地へと達するにはまだ早い、あるいは、もう遅いのだ。手前か、あるいは、その奥だから、みかめ……だね。
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