こぼれる、こぼれでる
今月の贅沢な時間を堪能してきた、水曜日に。渋谷まで行くために、西武新宿線の車両の隅に座ったら、速攻で眠くなって、記憶は真っ暗。山手線は混んでいて、人を運んでいた。ユーロライブ近くのコンビニで発券する。店員の態度が接客ではないみたい。せめて、「はい」ぐらいは言おうぜ。この前も、別の渋谷のコンビニで同じ気持ちになったことを思い出す。そっけなさは、都会だからなのだろうか。客のいないラーメン屋に入って、いつもの醤油ではなく塩を注文したら、僕を認識していたらしい店員さんが驚いていた。スープの不思議な甘さが好きだった。客席に座ってもまだ、満腹感は続いていた。わざわざ少し坂道を上って、そこから細い裏道に入って、ぐるっと回って、「へー、ここに出るんだ」なんて思ったのに。本を持ってくればよかった。手持ち無沙汰をゲームアプリに委ねた。
「ふたりらくご」6日目
11/13(水) 18:00-19:00三遊亭粋歌-落語の仮面 第三話 〜時そば危機一髪〜(三遊亭白鳥 作)
橘家圓太郎-うどん屋来場者 32名#シブラク
— 渋谷らくご 11/8~13ユーロライブ (@shiburaku) November 13, 2019
粋歌さんは、「落語の仮面」を毎年一話ずつ、シブラクで(勝手に)連続公演しているらしい。その第一話を見ていたから、花ちゃんの活躍にニヤリとする。それで、落語のなかの落語としての「時そば」(……ではないんだけど。もっとアバンギャルドなんだけど)からの「うどん屋」。圓太郎師匠の高座が、いきなり小言から始まると、「待ってました!」って思ってしまう。「うどん屋」って話自体は、ラジオの寄席演芸番組とかで聞いたことがあって、あんまり好きじゃないなあって思ってたんだけど、圓太郎師匠の演じる酔っぱらいが本当に酔っぱらいで、人間がアルコールを飲んだ時のあの壊れ方で素晴らしかった。うどん屋の悲哀と、それが生み出すおかしみ。
五周年記念公演も見ることができてよかった。五年前は何をやっていたっけ。それはおそらく、この日記を探せば、過去を振り返る形で書いてあるだろう。一時間の回は、時間的にもお金的にも自分にぴったりだから、何の文句もないのだが、帰りの電車が混むのだけが辛い。スマホで将棋を指している間に駅に着いて、降りた一歩目で、変な形で立っていた膝がピリピリした。
堂々としていたり、自信満々にしていたり、その裏側では、あまりにも鈍感で、マイペースがすぎる人というのが、ストレスを感じることなく、達者で長生きするのかなと思う。しかし、黒い帽子の縁が白く汚れていることに気が付かないのは、鈍感とも違う愚かさなのではないか?家に着いて、ぬるま湯を張ったバケツに洗剤を入れて、帽子をつけ置いた。寒い寒い夜のうちから、ベランダの物干し竿にかけて、次の日の午後まで忘れていて、被ったら太陽の匂いがした。
13日の『アフター6ジャンクション』が「台湾のインディーミュージック特集 by シャムキャッツ・菅原慎一」だったから、当然のように聞いた(ラジコのタイムフリーは一週間しか聞けないから、君も急いでチェックしよう)。当然のようにモンキーの話も、PARストアの話も出ていた(より詳細な事情は「シャムキャッツ菅原慎一が訪ねる新たな台北の遊び場《PAR STORE》~ex 透明雑誌・洪申豪(モンキー)が作った理想のスペースとは?」に書かれている)。それから、なかで紹介されていたイルカポリス/海豚刑警ばかり聞いている。
イルカポリス 海豚刑警『安平之光』Official Music Video
始まりのところがモンキーの「金巴利」で、繋がっている感じに嬉しくなってしまった。(ちなみに、歌詞中の"深夜FOLK SONG"は、透明雜誌の曲名だ)
今日の抜き書き。
問題はテーマではありません。テーマは形式、つまり書くという行為と物語の構造を通して具体化されるときに別なものに変わりますが、善し悪しはその変化したものに依存しています。
バルガス=リョサ、木村榮一訳『若い小説家に宛てた手紙』株式会社新潮社、2000年、p.29
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