綺麗な光

ブログ「いらけれ」

リビングのカーテンの端を手で退けた。ほんの数秒だけ、この夜中に散歩しようかと考えたからだ。窓の外には街がある。
その日の昼間には、梶井基次郎の「檸檬」の冒頭を読んだ。ツイッターでネタにされていたからだ。初めの方なら、一度ぐらい読んだこともある気でいたが、そこに並んでいたのは、まったく見覚えのない文章だった。それを読んだ僕は元気になった。だって、どうでもいいことばかり書いてあったから。虚心坦懐に読んでみてほしい。そこには本当に、良い意味でどうでもいいことが書いてあるはずだ。どうでもいいことは、やはり書いて良いのだ。ずっと昔に書かれた言葉が、僕を照らした。
裏通りにも街灯は並んでいるし、こんな時間に通る人なんていないのに、ずっと明るい。僕は立派な文豪ではないから、僕には、何十年も後を生きる誰かを元気にするような奇跡は起こせない。ただ、誰も通らない世界の裏通りに置かれた照明灯にならば、なれるかもしれないと思った。偶然、そこを通らなければならなくなった誰かを、少し安心させるようなライト。柔らかな白い光で、ずっと点いていよう。

何も知らないで名を連ねてしまったら、向こう側の人々とつながってしまう気がして、何もできないでいる。安易さを手に取ったら、別の何かが死ぬ気がする。そう言い訳をして、目前の不正義を見逃してきた人生だ。耐え難いね。

何だか分からなさを見ていた。棋士は一般に、寿命が短いと言われているそうだ。これが本当なのかどうか、エビデンスのある話なのかどうかは分からない。このインタビューによれば、受ける将棋を戦った次の日は、顎が痛くなるという。そこまでして争う理由があるのか、「でもやってんの将棋じゃん」は、渡辺三冠の有名な言葉だ。
今シリーズの王位戦の棋譜は、欠かさずにチェックしていた。そしてさきほど、AbemaTVで生放送されていた第七局の解説を、見逃しですべて見た。
木村新王位は、将棋の人気を高めた功労者の一人だろう。分かりやすい解説と軽妙なトークのおかげで、将棋ファンになったという人も多いはずだ。もちろん勝負師としても超一流で、何度もタイトル戦に登場し、奪取に"王手"をかけながらも、最後の最後で手が届かないという悲運のドラマは、将棋好きの間で語り草となっていた。
今回の初タイトル獲得で、最年長記録を大幅に更新したことは、もちろん途轍もない偉業だ。しかし、そこにあったのは、もっと大きなものものだったと言いたい。私の部屋に唯一飾られている扇子は、八段時代の木村王位が揮毫した「百折不撓」という言葉の書かれたものだ。精神と肉体と魂を削りながら、幾度負けてもなお戦い続けてきたことに感服する。崇高さとは、このようにしてしか生じないのだ、と思った。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤