サヴァイブ

ブログ「いらけれ」

どーでもいいから諦めるんじゃなくて、どーでもいいからぶつくさ言ってるうちに、どーでもよくなくなるのであって、それは、問題じゃないものを問題化してるとも言えるんだけど、すべての問題は本質的に隠されているのであって、つまり、そのようにして見つけなければならないのだし、発見しないかぎりにおいて反転することもない。

いとう 対話って、つなぐだけじゃないよね。切ることもある。個人的な思いが広がりすぎると、客観性を失う場合があって、それに浸っちゃうっていうのはよくわかる。だからあえて切る、みたいなことも必要だよね。

いとうせいこう、星野概念『ラブという薬』株式会社リトル・モア、2018年、p.125

『ラブという薬』を読み終えた。大事なところだから、このようにメモした。この前段には、(人によっては)長い時間をかけて話すことで、妄想が体系化してしまうことがある、とも言われている、と書かれていた。こうして毎日書くことが、妄想を作りあげないように、気を付けてるつもりだ。
常に世界の反転の可能性について考えている僕は、当然だが、すべてを心や性格のせいにして、押し込めてしまうつもりはない。怒るべき時というのが、誰の人生にもある。それを踏まえた上で、しかし精神なのだ。これは、僕たちはインターネットに言葉が溢れ返っているせいで、勘違いさせられているのではないか、そこで行われているのは、論理ではなく感情のやり取りなのではないか、ということについて、よくよく考えた末に辿り着いたアティチュードなのだ、ということは、残念ながら伝わらない。
幻聴について、実は、幻聴が聞こえていたとしても、それが全然辛くない人(応援してくれるらしい)もいるんだ、という部分を読みながら、自分のことを考えた。幻聴とそれ以外、僕は、幻聴を聞くことに集中すれば、幻聴を聞くことができる。子どものころから、自分の脳内で"考えた"言葉ではない、文章ではない声を、耳で捉えることができる(だから目を閉じて、それを聞き取って、ここに書き記すこともできるけれど、それでは日記とは言えなくなってしまうから、していない)。だがそれは、頭の中で何かを考えている時の声と同じだ、と思う。幻聴と思考には、あまりに差がない。物事を考察している時の、何かを思い付いた時の、その声は僕ではないという感じがあって、悩んでいる時の自分も、閃いた時の自分も怪しい、誤っているに違いないと思っていて、だからそれは、そこにいるのは一人の他者だ。このことが僕を、あらゆる最悪/災厄から遠ざけていると同時に、とても沈鬱な気分にさせているのだろう。


TWICE “Feel Special" M/V

音楽的にも映像的にも状況的にも、驚くべきことが結構詰まっていて、だから僕は、その通り驚いている。この、なんとも微妙なSFみは、誰かに読み解いてもらいたいところだ。とにかく、再び何かが始まる感じがあった。僕の中で。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤