星の下の不平等
楽しかった日の帰り道、所沢から歩いて帰った。歩きながら途中、すごく眠くなって、気づかないうちに、頭が疲れていたんだなあと思った。ぼんやりと街は暗くなって、「クリエイト」という見慣れないドラッグストアの明かりだけが眩しい。その脇の道を真っ直ぐ、東村山駅に隣接している高い高いマンションを目指した。が、いつの間にか袋小路に入り込んでいる。何かの寮か、どこかの社宅みたいなものを中心に、ぐるりと道が回っていた。どうしようもないから道なりに円を描いて、出口の分かれ道では、少しでも駅に近づく方を選んだつもりだった。しかし、どれだけ歩いても、知っている道に出ない。おかしいなと思いながら歩を進めていた僕の目の前に現れたのがクリエイト!さっきの!
驚くとか、へまをしたとか、どっと疲れたとか、そういうことではなかった。僕は興奮した!山とか森でもないのに、道に迷うなんてありえない!ということが嬉しかった。迷おうと思って、迷うことはできないから、貴重な体験をした。そう思った。「クリエイト」の脇ではなく、踏切を渡る方の道に進んだら、あっという間に見知った場所に出た!日常を無駄にした。とても贅沢な時間だった。
家に着いて、家にあった何かを適当に食べながら、野球を見た。引退セレモニーというのは、いつだって、ドラマが横溢する催しなのだ。言ってしまえば、それは過剰なのだけど、その瞬間だけは許される過剰さなのだ。逆から言えば、過剰さが許される瞬間というのは限られているということだし、もっと言えば、限られていなければならないのだ。僕の言うことが分かるだろうか?分からなければ、まずは、どこかの球団のファンになるのだ。日記を読むだけで得られるものなんて、ほんの少ししかないのだ。
というわけで僕は、インターネットの外でコツコツと勉強することにしたので、『みんなの「わがまま」入門』を買ったよ!もともと、富永京子先生は面白いなあと思っていたので、来月の「デモクラシーカフェ」のテーマが、「わがまま」だったのが、良いきっかけになった感じだ。読む読む詐欺にならないように、今度こそ読むぞ……と気合を入れる。うん。
ヨーロッパ企画の暗い旅 #171「闇ゲームを開発する旅」(2018年3月17日放送)
最後に、面白い動画を紹介して終わる日記。あなたがまだ見ていないのならば、それはとてももったいないことだから、今すぐに再生するべきでしょう。人間という種が、闇を恐れずにはいられないのは、有史以前から……とか語ると、人文系っぽくて良いのだろうか。もっと単純に、ただ見えなくするだけで勝手に面白くなってしまう、それは理屈以前の、想像させられてしまう力だ。言わなくても良いことを、言わずにはいられない内は、まだまだなのだ。黙説法を取り入れるように。
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