9/4なかったこと

ブログ「いらけれ」

青山ブックセンターで、『「私」が小説なのか?佐々木敦 × 山本浩貴 × h トークイベント』を見てきた。本も買ったし、予定も空いていたし、今月から僕は動くことにしているから行った。佐々木はツイッターで、集客が厳しいという話をしていたし、以前に青山ブックセンターでイベントを見た時も、開始時間の20分前ぐらいに会場へ行ったら人がほとんどいなくて、なんだか気まずいなあと思いながら席に座っていると、直前に混み始めるという感じだったから、今回もそうだろう、何ならギリギリでも空いているかも、なんて思いながら5分前に入ったら、結構な客入りでビックリした。僕が一番後ろに座った後にもどんどん人がやってきて、目の前の空いている席はすべて埋まり、さらに、後ろにも椅子が置かれるまでになった。

それと、知っている人がたくさんいたことにも驚いた。あー、あの人だーと思いながら居た。自分にも、まだミーハーな心が残っているのだなあと思った。書籍の刊行記念イベントなのに、まだ1ページも読んでいなかったから、待ち時間で読んだ。なかなか始まらなかったので、1章の終わりの方まで読めた。

人々により会場が暑くて、眠くなってしまった。その度に、マクドナルドでコーラを飲んだことを忘れて、自販機で買ったコーラを飲んでいた。コーラを飲む度に、一緒に食べていた月見バーガーの味を、少しだけ思い出すのが面白かった。

いつも小説を書きたいと言っている僕が、このイベントに行ったからといって、本当に小説家になりたい奴だと思われたら恥ずかしい。全然、そういう本気さはなくて、ただ面白い話が聞ければよかった。

そもそも、なんでわざわざ小説を書く/読むのかが分からない。同じように、(ドキュメンタリーではない)映画も演劇もマンガも分かってない。書かれている物語や登場人物に、何かしらのモデルがあったとしても、基本的にそれはフィクションということになっている。言ってしまえばただのほら話を、誰かが書いて、誰かが読む。

物語が全部だったら、あらすじを読むだけで感動できるはずだけど、なかなかそうはいかない。だから、それなりの長さでもって、要約した際には出てこないような些末な場面や、やり取りが重ねて描かれている、のだろうか。

私小説は、日記でもエッセイでもないということになっている。それをそのまま書けば、小説になるというわけではない。そもそも、言葉は現実ではないから、そのまま書くということはできない。「晴れていた」というようには、晴れていなかったということ。よって、そこにあった事実ではなく、そこにあったはずの真実を書き残すためには、報告書や調書では、はっきりと足りない。だからこそ小説では、文章のレベルで特別な操作が行われている、のだろうか。そんなことを考えずに帰った。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤