hopeless

ブログ「いらけれ」

その時閃いた。アドレスバーに打ち込んだのは「うつ病 チェック」という言葉で、表示された検索結果から、いくつか選んで自己診断をしてみる。うつ病なのは間違いないようだったし、なかには、「重度」という結果が出たものもあった。歴史には詳しくないが、これまでにたくさんの争いが、至るところにあった。それが引き起こされた遠因に、実は、時の権力者のうつがあった、なんてことも多かったのではないだろうか。うつで、食欲がなくなっていて、ご飯を食べていなかったから、冷静な判断ができなくなっていたりして。自分の状態を理解するというのは、とても重要なことだ。自分が参っていることが、不調の只中では分からなくなってしまいがちで、それが往々にして、人生の困難の始まりになってしまう。ただし、うつが分かったとして、どうすればいいかというのはよく分からないもので、まあ病院に行け、薬を飲めって話なのかもしれないけど、パニック障害だった……であるから、病と薬の関係は、すでに真剣に考えてあるのだが、パニック障害は、死ぬかもしれないという不安が代表的な症状とされていて、死ぬかもしれないというのは、人間の手の中にある感情という感じがするのに、それは病に起因するもので、さらに薬を飲めば、その不安な気持ちが治まるというのは、本当に不思議だ。薬を飲んで落ち着いているとき、それは自分というよりも薬なのではないだろうか。このようにして自分というのは、とても変形しやすいもので、まったく確立したものではない。自分を形作ってくれるような本だけではなく、つけっぱなしのテレビから流れてきたCMや、暇つぶしで開いたツイッターのタイムラインに流れていたつぶやきに、思想を形成されているのだ、気づかぬうちに。使う言葉や、なんなら敵だって、自分がくだらないと見下しているものに、左右されているということに気が付かない。本当はもっと、みんな自己検証をするべきなのだ。しかし、自己検証した方がいいような、素っ頓狂な人ほど、誰かの問題点ばかり探して、他人を打ちのめすことに一生懸命だったりするからさ。

そんなことばっか考えてるからお前はダメなんだよって、僕は僕に思わないようにした。いやむしろ、こんなことばかり考えているから、僕はまだここにいるのだろう。人という存在の謎への興味と、人々という集団への不満があったから、僕は自死を選ばないでいられた。でも、世界に対して訴えかけるつもりは、もうない。何したって無駄なだけだから、ただ少しだけここに突っ立って、望みどおりにならない苦さを噛みしめて終わりだ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤