plasticity

ブログ「いらけれ」

私の、ゴールデンウィークのど真ん中に、インターネットでの買い物に使えるポイントを貯めるだけに所沢へ行って、プロペ通りの人の多さが、よくここを通っていた頃のことを思い出させたり、自分はパニック障害ではないかと疑って、家から行ける範囲にある精神科病院を調べていたときに、ネット上の口コミが良かったクリニックの前を通って、結局、もっと家に近い病院を選んで電話をかけたら、予約が一杯だから来月にならないと診察ができないと言われて、俺はパニック障害だからいいけど、鬱の人だったら、下手したら死ぬんじゃねえかなあと思ったことを思い出したり、帰り道にはルートを変更して、坂になっている道の方へ進み、わざわざ遠回りしてまで、線路が下を通っている景色を見たり、この右手にあるマンションは、さぞかし景色がいいだろうと思って、そちらに顔を向けたら、建物の前が広場のようになっていて、鉄棒とジャングルジムと滑り台があって、滑り台の前には砂場があるけれど、鉄棒とジャングルジムの下はアスファルトで、子どもの頃はよく鉄棒やジャングルジムで遊んでいたが、ふざけすぎたり、無茶したりして何度も落ちたのに、今でも生きているのは下が土だったからで、これでは子どもを遊ばせることはできないだろう、などと考える暮らしは、一つのシェルターのようなもので、このように生きて、それをネタにして、このように書いたところで何になるわけでもないのに、しかし、現実から目をそらして、やるべきことに背を向けるのには十分で、英語ぐらいできた方がいいと分かっていて勉強しないのは、怠惰以外の何物でもない

私がそのとき、自動車教習所の前に差し掛かったそのとき、ビルに垂れ幕がかかっていて、免許を取得するために必要な費用、30万円いかないぐらい費用が書かれていて、施設内のコースとバイクを前に、入念なストレッチをしている人々に目をやりながら、「払えるな」と考えて、一瞬だけ教習を受けている自分を想像した理由が、今日分かった。それは、ユーチューブの方で見ていた『本と雑談ラジオ』を、ポッドキャストで聞き返して、それは長嶋有がゲストだったからというのもあるだろう、そのなかで、小説を書き続けて、書くことがなくなったときに、免許を取れば、自分を変えないまま書くことが倍になると思った、と長嶋が話していて、それが意識にあったわけではないが、無意識が覚えていたからだ。"plasticity"は、可塑性という意味の英単語で、人間にもプラスチックのように可塑性があって、それは抽象的なレベルではなくて、脳が、シナプスが物理的に変化するということで、その変化は恐ろしいことでもあるけれど、自分が変わること、変わることを体験することは、大きな希望でもあるのだと思った。

あなたは、私の話を信じないと思うから、グーグルマップのリンクを張っておこう。これが、確かに私の見た光景だ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤