割れ我
洪申豪の『LIGHT CORAL』 が、4月1日に"本当に"再発されていて僕は、発売されたらすぐ買うつもりだったのだが忘れてしまっていて、それを注文したら、間もなくポイントサイトでしたカード発行が認証され、ポイントがついたというお知らせが来て、それで、ずっと前に頼んでいたミックスナッツの発送メールも届いた。人生は、前に進むときは前に進むのだから、そういった偶然が司る人間の暮らしには、あらがっても、歯向かってもしょうがない部分があり、なるべく流れに乗っていく。
「関の山」とか書きたいんです。「申し分ない」とか使いたいんです。僕にとって文章は、とても劇に近い。言葉は、流れのなかに置かれたときに、一つの役割を演じ始める。そこには、個性派の劇団員を放り込みたいと思う。彼ら/彼女らの登場によって、流れが少し淀む。停滞する。うとうとしていた観客が、気になって目を覚ます。ぼんやり見ていた観客に、考えることを強制する。そうして、真に観客となる、みたいな。
少し風が強くて、桜が散ってしまいそうだ。別に、どこかに行かなければならないということはなかったから、大したプランもなく東村山駅方面へ歩き出したのは正解だった。道中の空堀川沿いの桜は満開で、とてもきれいだったし、東村山駅前のロータリーから延びる桜並木も、葉桜になるまでに見ておくことができたから。
東村山駅の方へ行ったのは、イトーヨーカドーがあるからで、使っている安い財布の表面が、ボロボロになってめくれだしたから、買い替えようかなと思ったが、意外と財布を買える場所って少ない。とりあえず、西友やイオン、今日のヨーカドーとか、手近なスーパーを回ってみたものの、ちょうどいい財布はみつからなかったよ。
「痕跡収集家」と書いてしまった手前、痕跡を探さなければとキョロキョロしていたら、すれ違ったお巡りさんから、不審そうな目を向けられてしまった。しかし、そのおかげで収穫があって、ある整骨院の前を通ったら、半透明の入り口の扉の、営業時間のステッカーを訂正するために、新たな時間を手書きした白い紙が貼り付けられていた。しみじみと「そう、こういうの。いいなあ」と思って、その外観の全体を見たら、鯉のぼりが飾ってあるのは時期だけど、ガラス張りの壁面には門松の絵の上に「謹賀新年」という文字の書かれたものや、サンタクロースのイラストが貼ってあった。やっぱり街には面白いスポットがあるのだなと実感した僕は、でも、ここの整骨院はちょっと怖いから、利用することはないだろうと思った。
オリンピックのことも、年号のことも、好きだとか嫌いだとか、内容にかかわらず、大きな話題であるそれについて話すことで、何か一つにつなぎ合わされている感覚があって、ある意味で、とても正しく運用されているのだろうと思う。平成も終わっていく、手にはスマートフォンがあって、いくらでも自由になれるのに僕たちは、とてもつなぎ合わされたいのだ。
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