奇跡のような瞬間
歩き出したときから、この日のことは、ただただ普通の文章として書きたいと思っていた。
24日は日曜日で、前日には、ただでさえ苦しい台所事情の中、なぜかブログ記事を二本書き上げ、その上、今日返却予定の『電化製品列伝』をなんとか読み終えて、これも一本の記事として書くことに決め、さらに朝には、『文化系トークラジオLife』のアーカイブを聞き始めて、この後、歩きながら聞いてネタを拾い、一本の記事にしてしまおうと考えていた。明日には高級肉が届くし、そのことも書かなければならない。
僕には時間がない。そんなことは重々承知の上で、歩き出す。書かなければならないことに、押しつぶされてしまいそう。外は、春らしい暖かさだった気がする。『Life』で吹き出しそうになったり、ニヤニヤしたりしていたので、人とすれ違うときに、気味悪がられていたはずだ。
向かったのは廻田図書館で、この前行ったことも書いたけれど、そこの棚揃え(なんて言葉はないと思うが)がよかったので、良い本との出会いを期待していた。40分ぐらい歩いた。
借りていた『電化製品列伝』には、短冊形の紙が挟まっている。返却期限が書かれたその紙は、僕が、電車の中で本を取り出して、読み始めようとしたときに、外へ飛び出した。きれいな回転がかかった紙は、奇跡のようにクルクルと、風に乗って川を渡り、対岸に座るおばさんの足元までたどり着いた。見事な飛距離。おばさんは、何事かと足元に目をやり、それにつられた両脇も、少し前のめりになって覗き込んだ。その紙の価値を知っているのは僕だけで、だって、返却期限は延長していたから、そこに書かれている日付には一つも意味がないし、いれっぱなしにしていただけの、はっきりいってしまえば、ごみだったが、なんだか大ごとになってしまって、申し訳なかった。手を伸ばして拾ったおばさんは、紙に書かれていることを確認する前に、僕に向けて差し出したから、受け取らないわけにもいかない。「ありがとう」ではなくて「すいません」と言って、本の表紙と一ページ目の間に、すぐに挟み込んだ。
それ以前からそうだったとはいえ、それ以前より大きな問題となっていると思う。事実誤認や、もっと言ってしまえば嘘、あるいは極端に偏った内容の本が、指摘されてもなお流通して続けている現在、そのことを知ってしまった僕は、だんだんと、本を手に取れなくなってきている。もちろん、それ以前から、本に瑕疵が含まれていることなんて、人間の営みである以上ざらにあったはずだし、どんな本でも鵜吞みにすることなく、注意深く読まなければならなかったのだろう。しかし、少なくとも、間違いがないように作られているはずで、間違いがないことを目指しているはずだという信頼はあったから、知らない本でも、臆せず手を伸ばすことができていた。今ではもう、例えば、知っている著者であるとか、知っているレーベルやシリーズでなければ、間違った知識をインプットしてしまうのではないかと、とても恐ろしい。(つづく)
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