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「たいこ腹」が苦手。「たいこ腹って何?」という人は、検索して、これから知ればいいから大丈夫だよ。そんなことより、痛い描写が苦手。それも大きく痛そうな、ざっくりと切られるというような描写より、針が刺さるというようなシーンの方が、リアリティがあって苦手。顔をしかめてしまう。
昔、向田邦子の小説『思い出トランプ』を読んだら、そこにも腹に針が刺さる描写が出てきて、その内容はほとんど忘れてしまったけれど、感想として「痛い描写が苦手」というツイートをしたことだけは覚えている。虫も大概が苦手だけど、今日はあの、皆に嫌われる代表格の虫が、大量に出現するという内容の映画を見る、という内容の夢を見て、目覚めの悪い僕が、気持ちが悪くてバッチリと起きた。毒があるわけでもないに、なぜ、これほど苦手なのだろうか。
「共感性羞恥」という言葉が話題になったこともあったけど、僕にもそういうところはあって、バラエティ番組とかで、誰かが変なこと言ったり、やったりして、変な空気になると番組を変えてしまう。でも、痛みも虫も、誰かが恥をかくところだって、全然大丈夫って人はいるはずで、だからエンターテイメントのなかに残っているのだろうし、人の感じ方ってそれぞれなんだなって思う。
僕が、例えば小説を書くとしたら、そういうシーンは描けないと思う。だって、頭の中で情景を思い浮かべながら書くから、それを想像するのが苦痛だし、不快だもん。でも、そういう自分の感情を越えて、その小説のためには、書かなければならないこともあるのかもしれないなんて、そんなことを思った。
多くの人が分からないだろうという実感がある。僕がなぜ、日記を書くことに、これほど執着しているか、見当がつかないだろう。伝記というやり方があって、誰かが誰かの事を書く。書かれた対象が生きていると、それを読んで怒ったりする。
記憶というのは恐ろしい。僕は白米が食べられなかった。小さなころは、チャーハンとかカレーは食べられても、真っ白なお米におかずという取り合わせは、受け付けない子供だった。あるとき、米どころに旅行に行った。泊まった旅館の仲居さんが、ここは米がおいしいからと言いながら、僕の前に一膳のご飯をよそって置いた。僕が白米を食べないことを知る家族は苦笑いをしていたが、よそわれてしまった手前、「据え膳食わぬは……」という言葉を知る前だったが、しょうがなく手を付けたら、何の問題もなく食べられることに自分で気付いて、以来、おかわりを繰り返して太るほどの白米少年になったという記憶。数年前にこれを、「そういえば昔は……」という、あったあった、そんなこともって盛り上げるつもりで、懐かし昔話モードで話したら、父と母は覚えていないといった。
だからこのことは、僕が書いておかなければ、誰も書かないし、書くことができない。僕が書かない僕の伝記には、出てこないエピソードだ。そして、記憶の本当の恐ろしさは、この思い出が事実かどうか確かめようもないという、極端な不確かさだけではなく、そればかりか、自分でも疑わしいと思っていることで、ただし、いくら疑わしかろうとも、記憶は記憶としてここにあり、それがいつか、僕が忘れたり、死んだりすることによって、失われてしまうことが、とにかく恐ろしい。だから、この日記を書いている。
スネオヘアー編集部ライブ@月刊にいがた編集部 -vol.4-「トークバック」
こんなにも静かな
朝がいつか消えてなくなるなんてね
まだ何ひとつ始まってやしないのに
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