スピーカーズコーナー
『南の思想』を読み終えた。現代と人生に対する思想的探求の痕跡としてあったその本は、啓蒙的でも啓発的でもあって、読むことによって世界への理解が深まった(気がしている)。あまりに素晴らしかったので、せめてその一部でもと、本の訳者による著者へのインタビュー部分から、かなり長いが抜粋して引用(の範囲を超えている気がするけど)してみよう。イタリアで行われている、伝統を再評価するイベントに、ミュージシャンたちが参加しているという話題から。273-4ページより。
「タランチュラの夜」は、伝統の再発見でもありますが、再発見される伝統は不変の伝統ではありません。なぜなら、このイベントは過去の音楽を現代の音楽と関連させる力をもっているからです。この祭りに、さまざまな音楽を横断して新しい音を目指してきた、新しい音楽の形態をつくろうとしているミュージシャンたちが参加するのは、偶然ではないです。ワールドミュージックの制作は知的な作業の多くのヒントになりそうです。ワールドミュージックの制作も二つの異なった、しかし依存関係にあるプロセスを包含しているのです。一方では、あなたは自分の音楽を世界の音楽のなかに入れることができるが、もう一方では、世界の音楽が自分の音楽のなかに入っていくのです。このプロセスでは、あなたの声、あなたの音色が他の人とあなたを差異化しますが、それと同時に、あなたが世界の音楽のなかに入っているということで、これらの音楽があなたの伝統との関係を豊かに、ダイナミックなものににするのです。自分を喪失しないで、自分を他人に植民地化されないで、また、従属的な同質化もアイデンティティーの自閉も回避しながら、グローバリゼーションのただ中にいる――このゲームで敗北しないためには、他者と連結を結んで、地域主義とナショナリズムを乗り越え、自分の魂を広くしなければなりません。
一読すればお分かりだろうが、「音楽」を「文章を書くこと」に置き換えられそうだということも、この部分を引用した理由の一つだが、それだけじゃない。「自分を喪失しないで~」以降の文章がそのまま、この本の主張を、テーマを、完結に説明していると思ったからだ。いかに「過度」、「原理主義」を逃れ、「適度」を実現するのかということ。
読書に満足しながら、読後に陶然としながら『南の思想』を返却しに初めて行った市内の図書館には、読みたい本が一つもなくて、そのことにとても驚いた。図書館のラインナップの差異……今度はまた別の、まだ行ったことのない図書館に行ってみよう。
「アマゾンでウォッカを」って、なにかキザな言葉を書いたんじゃない。あのウェブサイトのアマゾンで、安いウォッカを注文したのだ。配達されしだい飲んで、飲みながら生きて、飲みながら書いてやろうと思っている。あと、モバイルバッテリーを買った。2000円以上の注文で送料無料になるからっていうのもあるし、仕事に行くと意外とスマホの電池が足りなくなることが分かったから。だいたい、いろんなことが意外で、思ってもみないことばかりで、何事も試してみるまで分からないことばかりだと、心に留めておく必要がある。
「村上RADIO~RUN&SONGS~」
「こんばんは、村上春樹です」の第一声で爆笑してしまった。すっごい素人のおじさんが、普通のおじさんがそこにいるって感じなわけだが、だいたいの人が普通のおじさんなわけで、でも普通のおじさんはラジオの冠番組とか持てないから、その違和感と言うか、見つかっちゃった感が面白かった。
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