Renaissance
2018年6月18日放送分、東京ポッド許可局「遊び心論」聞きました(論の名前で思い浮かんだのは、PUNPEEの曲だった)。
真面目に見えない遊びこそ、僕たちの日常には必要で。肩肘張らないではいられない、コスパ計算しないではいられないっていうのは、僕たちの、スマホ以降の時間感覚による切迫感ですよね。
ていうか、許可局を「緩い」って言っちゃう人は、自分でラジオやってみればいいと思う。ネタ的じゃないのに、お笑い的にキツキツに見えないのに面白いって相当テクニカルだよ。
あと、杜撰を、あるいは欠陥を楽しむっていうのは、あってもいい。それは高等な遊びだけど、そういう理不尽をなくそうとしてきたのが近代だしなあ、とも思う。
だじゃれのおかしみっての話の中で「二日後に花開くだじゃれもある」っていうマキタさんの発言があって、この言葉にこそ、おかしみがつまっていて感動した。
政策だけではなく、政局も実は歴史を動かしてきたことは、「歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか」という、與那覇潤さんのインタビューでも話されていたので、読むといいかもしれない(ただ、與那覇さんの話は、別の方へ行くのだが)。
●聞き終わっての感想
しかし、許可局を聞くような局員は「分かってる人」なわけで、本当に遊び心を身に付けなければならないような、強い切迫感を持って生きている人は、そもそも許可局を聞かないだろうし、また、こういうった話を聞いても、その余裕を憎みこそすれ、決して変わらないだろう。
この円の外側にいる人にどう届けていくのか、許可局ワードでいうなら遠心力の問題は大きいなあ、と思った。
「ポスト「失われた10年」に語るべきこと~Part4」
文化系トークラジオの過去回ばかりを、ええ(最新回はまだ聞いていないのに)。内容全然覚えてなかった、というか、聞いたときには分かっていなかったことが多かったから、発見が多かった。
この総括でのチャーリーの、実存の言葉についての語りは、3.11以後の世界から聞き直すと、やはり少し意味が変わってしまっているというか、"社会が変わってしまった"のだな、と思ったよ。
で、でもこれが残っていることが重要だと思うんだ。10年後に聞き返せる/読み返せるということ。そして、時間を経て振り返ると、当時の意図を越えて、面白いと思えることを言っていくこと。
僕も、10年後に読み返したときに、「時代の空気が分かる」という地点を越えて、そういうのと無関係に、面白いと思われることを書いていきたい。真剣に、ちゃんと頭を使って書く。それが種を植えることになって、いつか花咲くというイメージ。だから、速報性はツイッターに任せて、時間を置いてサイトに書いていく今のスタイルも悪くないのだなと思った。
だが、10年後にこのサイトがあるのか、それは不明だ。サーバー代とドメイン代を払えるのかという問題!
トランプ大統領、G7で安倍首相に暴言か
マイナスとマイナスをかけるとプラスになるのは算数で、現実ってプラスにならないんだなって思った。
しかし、「トランプがキング」って、やっぱ〈現実〉は、悪い冗談なのではないだろうか。
もう会わない人がいるだろう。お互いの網膜に映っても、心が通い合わないと「会った」といえないのならば、もう会わない人がいるだろう。僕には。「でも、そういう人がいることこそ、あなたが人生を生きた証だ」とか、それは慰めにもならない言葉で、だって、僕は今でも好きだし。好きだし、だからこそ、何をしても無駄なこと、僕に対してはもう心が開かれないことが分かってしまっている。痛いくらいに。もし、僕がノーベル何とか賞を取ったら、連絡をしてくれるだろうか。もし、あの子がノーベル何とか賞を取ったら、僕は。
Glen Scott – Heaven
「InterFM897 Music Mix」で聞いて即チェック。YouTubeで見つけた(公式だよ!)ので、ループ再生しながらブログを書いていた。
このグレン・スコットって人天才では?ちょっと再生数少なすぎでは?「再生数の少なすぎる動画を広める会」の会長である僕としては見過ごせない!
……などと、Googleで検索してみたところ、この「Heaven」という曲は、発売された99年当時、日本全国のFM局でパワープレイされるヒット曲になり、彼の来日公演も行われたらしい。佐藤竹善は、この曲を聞いて、この曲のエンジニアと仕事をするためにナッシュビルへ行ったらしい。
色々な歴史の集積が、知らないたった一曲にもあって、すごいなーと思った。
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