今と向こう側

ブログ「いらけれ」

僕のポッドキャスト「ボイスメモを公開する。」が更新されているので、聞いてくれ~。今回は、なななんと、外で収録されてるぜ!喋りはグダグダだけどな!!

試合前に映ったシェフチェンコを見て「シェバじゃん」って思うくらいにはフットボール好き。これからチャンピオンズリーグの決勝が始まるんだけど、今日(日付変わって昨日)は叡王戦が終わっちゃった。どういう例を出せば、将棋好きって分かってもらえるだろう。書いてる日がバレちゃうなあ。コンペティションを見てて思う、コンペティションが生むものは、勝者のみならず敗者、というか、敗者の方が多いわけだよね、だいたいの場合。たくさんの偉大なる敗者がいるからこそ、勝ちの価値が上がるんで、勝者が輝くのよね。どうしても敗者にシンパサイズしてしまうよね、ボクは。不貞腐れたり、毅然としたり、笑ってごまかしたり、勝者より敗者の方が、その様が一様じゃなかったりして、それで自分が負けた時を思い出すよね。徒競走とかで。敗者の側から世界を見れば、色んなことが分かるのよ。あ、明日(日付変わって今日)は、日本ダービーがあるんだって、電子番組表の「競馬予想TV」の内容紹介で、今知った。昔はそれなりに競馬も知ってたんだけど、今ではほとんど見なくなったなあ。それでは、不肖この私が、勝つ馬を当てましょう。勝つ馬はダノンプレミアムだ。
(追記:弱点はいつだって、厳しい場面、本当に最後の最後に顔を出し、それが決定的になるのだなあと、決勝を見て思った。そして、ダービー馬はワグネリアンだった。ワグネリアンはワーグナーの音楽に心酔している人々を指す言葉から付けられた名前らしいけど、ワグネリアンにワーグナーは聞かせたのだろうか?)

ここ数日(上記にあるように、書いているのは少し前だよ)、「怒りとは嗜癖である」という言説を、ツイッターでよく見かけた。その内容について、どうこう言うつもりもないし、詳しく知りたい方は自分で検索などしてほしい。ただ、僕は結構長いことツイッターやってるので思うのだ、この手の言説が話題になるのは幾度目かであると。つまり「『怒りは嗜癖である』と指摘することも嗜癖である」と、言えるのではないだろうか(しかし、これは「その指摘も嗜癖ではないか」という指摘を呼び込む(さらに、その指摘の指摘も、その指摘の指摘の指摘も……と進んでいくことも可能だ)。それは承知している。)。
「俺は分かっている」という言葉の背中ががら空きだったりして、なぜ人間は、こんなにも分かってる側に立ちたいと思ってしまうのだろうと、考え込んでしまった。注意深かろうが何だろうが、言葉にも、環境にも、思考のクセにも、簡単に踊らされてしまう。それが人間で、人間とは、何かに踊らされている猿と、踊っているつもりで何かに踊らされている猿の総称なんじゃないかと思った。

「仕事でも何でも、人間を仕向けるのは簡単なのに、根性論とか精神論とか古いんですよ。効率を上げるためには、対象に適切に指示を与え、モチベーションを上げる言葉を駆使して、適度に休息を与えないとダメです。人間という動物のメカニズムを理解して、プログラムするんです。そうやって、意図通りに動かせばいい。」
“お前に一番優しい者が、お前の一番の敵である”だ。私は、右手の手首を左手で持ち、右手の人差し指を、先が奴の額の中央を差すように真っすぐに伸ばし、親指を立てた。あのマンガのように。


ちょっと良い将棋が指せたので精密解析してみたら、二段が六段……!自分にしては出来過ぎな内容だったとはいえ、嬉しすぎて泣いた。この解析した将棋は、相居飛車の相雁木風の将棋だったから「やっぱ振り飛車より居飛車の方があってんのかなあ」と思ったり思わなかったする、先手中飛車が好きなんだけど、勝てないおじさん。しかし、自分でも薄々感づいていたけど、終盤型なのね。思い返してみれば、だいたい序盤で苦しくなって、勝負手を連発して、なんとか勝ってる印象しかないものね。
※もし皆様の中で将棋ウォーズを楽しまれている方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡を。IDを交換しましょう。

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Posted by 後藤