織る

ブログ「いらけれ」

退屈な私のパフォーマンスを見せられる毎日に殺されてしまった。だから私は、五月の終わりを喜んだ。その船は、間違えても進んでいった。いや、進むこと自体が間違いの始まりであり、同時に終わりだったのだ。心のなかに生まれた海は見渡せず、始まりも終わりもなかった。六月になったからといって、変わってほしいものが変わるわけはなく、望みの彼方に私たちはいた。二十一世紀になっても温存されていた差別的な構造が攻撃されていた。怒るべき時だった。そのページをめくる指が、紙の端で切れたのだ。痛みに顔をしかめながら、思い出すということは、常に唐突であると理解した。私が小説を書いたのは相当前のことで、壊された状況のせいで手売れなかったそれを、この場所で公開した際にツイッターで宣伝した。ツイートして数時間後、黒幕から「いいね」されていて仰天した。驚きは震えになり、手に持ったコップから水がこぼれた。私は、『文化系トークラジオLife』のすべての回を、2回以上聞いているということだけが自慢の人間だ。それ以外に誇れるものはない男だ。久々に、ツイッターには夢があるな、と思った。だから五月も、それほど悪い月ではなかったことにしよう。そして六月一日には、「MORE & MORE」のMVが公開された。TWICEは裏切らないから、やはり幸福の雨に打たれはしたものの、映像表現的な面白さは大分後退していたから、音楽に集中して繰り返し視聴したが、私の貧弱なボキャブラリーとライブラリーでは、影響関係や参照元を読み解けなかった。識者の解説が待たれるところだ。しかし、サビの頭のところで歌わないのは駄目だって「Dance The Night Away」で学んだんじゃなかったのかね。そして六月は、流れに抵抗しようと思っている。どう生きても一回しかないのだから、途方に暮れる気持ちを追いやって、生きたい方へ行こうとする。その意思だけが問われていて、夕飯に食べた餃子が美味しかった。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤