生きたほうがマシ 2

ブログ「いらけれ」

つまるところ人間というものは、といった書き出しで、なにかを書ける気がしないのでやめる。ここ数日、思い悩むことがあって使い物にならなかった私も、スマートフォンの時計が12時を過ぎたら、さすがにまずいだろうというのは分かって、もぞもぞと布団から這い出した。
良い人と悪い人がいるように、良いことと悪いことが起きるのが一生なので、浮いたり沈んだりが普通だ。でも、これから沈むと分かっていて、楽しく笑えるほど強くないのだ。弱い羽ばたきで、大きな黒い蝶が飛んでいるのは、綺麗に咲いたツツジの周り。昼過ぎの暑さを和らげる風。
今日も霊園を歩く私です。今の時期は緑が綺麗だから、距離を開けてすれ違う人々の顔も、心なしか明るく感じられるのは、とても良いことなのかもしれないと思う。いつも通り、耳ではラジオを聞いているけれど、心には入ってこないのでやめる。こういう時は音楽だな。5月にぴったりな音楽は、本当にたくさんある。
少し汗をかいて家に着いたら、保坂和志『いつまでも考える、ひたすら考える』を読みたくなったので、読みました。これ読むの、何度目だろう。数え切れないほど読み返した本のある人生は、そういう本がない人生より豊かな気がする。何度読んでも、フロイトが出てきたあたりから分かんなくなるけど。
あらためて、自分を形作ってるなあと思いながら読んでいて、そして、読み返したくなった理由が分かったというか、最近聞いためちゃくちゃ良い言葉があって、良い言葉だなあと思っていたそれと、まったく同じ言葉が書いてあったからだ。覚えていたわけじゃないんだけど、いや、たぶん心の、身体のどこかにはあって、だから引っ張り出してきたのでしょう。明確な記憶じゃなくても、私のなかに"感じ"が残っているから、同じ"感じ"と出会ったときに、それを呼び出したくなるということ。
その言葉を言った人と仲良くなりつつあって、それで機嫌が良いというのは、単純すぎるのかもしれないけれど、とにかく、友だちを増やすのは大事だということを、トミヤマユキコ「このままならなさは、私たち人類にあたえられた「課題」」を読んで思った。

知人の星野さん(精神科医)から聞いたのですが、いわゆる心の病にとって孤独感ほど厄介なものはないらしく、リアルでもバーチャルでも「ここが自分の居場所だ」と思えるところがあるとすごくいいのだそうです。家族や、高校までの友人、あるいはインターネット上の繋がりが居場所になっているひとは、どうかそれを大事にしてください。

とても良い記事なので、全文読んでもらいたいな。誰かが自分の居場所になるように、自分も誰かの居場所になる時が来るのだろう。あるいは、複数の居場所があると感じるようになって、そのおかげで救われたりするのかもしれない。分からんけど。やっぱり、その人が生きやすいように生きるのが一番で、私には文章があるので、文章を書いています。布団は敷きっぱなしで、ていねいからは程遠い暮らしだけど、胸を張ってね。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤