階級3

ブログ「いらけれ」

聞いたもの:Session-22「『認知行動療法』とは?」(いまが辛い人におすすめ。リンク先で聞けます)
読んだもの:◎いとうせいこう、星野概念『自由というサプリ』(笑って泣けて、何より気が抜けていてサイコー!)
見たもの:人文的、あまりに人文的 #008 2020年4月号別冊「パンデミック」/『疫病と世界史』『ペストの記憶』

お知らせしていたオンライン対話の会が、無事(?)終了いたしました(パチパチパチ)。いかんせん不慣れなこともあり、イレギュラーなこともあり、反省点を挙げろと言われば無限に終わらないだろう、けれど、会は終わったのだ。終わったことは反省しません。誰かと誰かと誰かの間で、真ん中に立つことを引き受ける主体として、少しずつ頑張っていきたいところだ。

外に出る。たったそれだけのことが、大きな意味を持つような世の中になって、天井を見つめる時間が長くなって、いろんなことがすごくはっきりしている。とても残酷だと思う。電車に乗って映画や落語を見に行けば、なんかつながっているような感じで、普通の顔をしていられたのにね。金がないと快適に過ごせないことも、友だちがいないと愉快に暮らせないことも、一人の部屋で浮き彫りになっている。世界は階級で出来ている。でも、そんなの当たり前のことだ、だけど、気づかないふりをしていた、していたのにね。

雨上がりだから人も少ないし、なんだかすべてを洗い流してくれた後みたいな感じがして、清々しい気持ちになっている。濡れた墓石が並んでいる。木立が落とした枝を入れておく大きな箱の向こうから、白と黒の猫が顔を出して、私は、猫を見ている時には悪い気分にならないな、と思う。猫は、我が世の春を闊歩して、墓石の向こう側に消える。
私の横を、颯爽と自転車が走り抜けたとき、褒めるときは本音だと思った。うまくない料理に当たったグルメレポーターが、「独特な味ですね」とか「好きな人には堪らないでしょうね」と言うように、大多数の人は、嫌いな人をストレートに褒めないのではないだろうか。それは私もそうだ。
でも、褒められた私は、その言葉を偽物だと思い、後から来る批判や指摘を本物だと思う。あまつさえ、批判するために褒めたのだろうと思う。批判や指摘が嘘だと言いたいのではない。それも本物ならば、褒める言葉だって本物なのだ。そう思っていれば良いのだ。あの猫のように、胸を張って。

多少 ズル賢くなって
なんて健全な僕だ


FoZZtone「暮らそうよ」

勘の良い人なら、今日のタイトルは予想できたかもしれないね。暮らす、クラス……。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤