おそれ

ブログ「いらけれ」

かーきたいことがなーくなっちゃったなあ。やっぱりこう、現実が意外な動きをしているからかな。口を濁しているそれは、良いことなんだけど具体的には書けないやつで、聞きたければ私の友人になるしかないね。この現実よりも、面白いフィクションなんてあるだろうか。熱心に覚えたドイツ語は、どこへ行ったのだろうか。又貸しされたメタルギアソリッドは、この世のどこかにあるだろう。

用事があって銀座の街を歩いていた私だったが、面白いものを見つけることも何かを思いつくこともなかったから、調子の悪さを自覚した。花粉症が、脳の活動を低下させているのだろうか。それ以上に、苛立ちが悪影響を及ぼしていそうだから、慌ててニュースを消したら黒い画面に、醜さが映っている。鏡なんてなくなってしまえばいい、と思う。顔が苦手だ。顔なんてなくなってしまえばいい、と思う。"おそれ"の未来には、誰もが顔を隠し生きる。そうなるだろう。触れ合いはリスクであるという当たり前かつ愚かな結論で、すべてが個室になる。それは自室の延長で、状況が閉じた部屋に引きこもる。そういう間抜けが人間らしさだから、それも良いだろう。

悲観も楽観も同じぐらいしている、上手く言えないけど灰色の、コンクリか何かが縦横に重ねられた柵がずっと続いている、その向こうは斜面で高い所に線路があって、それに沿って伸びる道路を歩いていた。風が吹いたら斜面の雑草が揺れて、空の低い所を通過した飛行機が大きな音を立てて、遊ぶ小学生でいっぱいだ。「ぺんぎん」と書かれた古びた看板と、緑色の日よけの下を窺うと、ガラス戸の奥にはたくさんの駄菓子があり、3人の男の子が蛍光色の何かを食べている。店の外にはガチャガチャがあり、その内の一つにTWICEメンバーの顔が並んでいる。こんなのあるんだ、知らなかった、欲しいという気持ちに、小学生に見られたくないが勝ったから買わなかったが、こういうリアリティのなかで子どもたちが生きているということを、大馬鹿者共は知らないのだ。

踏みつけられたから知った気持ちの死角に、踏みつけたから知ることのできなかった気持ちがあるとして、とにかくまあ、踏みつけられてきた私だからできることを見つけたら、それが良いと思えなかった。痛みのない人生を歩みたかったし、痛みの記憶を活かせる場面なんて最悪だ、そこで誰かが踏みつけられている。私が要らない世界を誰よりも望んでいるのが私で、それはぞっとする、あるいはぞっとしない発見だった。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤