ブログ「いらけれ」

多くの人に見られているか、だとか、私は、どうでもいいっちゃどうでもいい。でも、現実として数で動いている面があって、馬鹿にはできない。

愛するものがずれている感覚は昔からずっとあって、だから今さら自分がどうこうとか、寂しいだとかはないんだけど、みんなが好きなものを好きな方が得をする場面は多いだろう。続きが見られたり、グッズが買えたりとか。

ただ黙って愛でている、それが普通で、それでいい……だが、それでは伝わらないことが往々にしてあって、熱も届かなかったりする。深さは数字じゃ分からないから。

なんて考えても、だから声を挙げ続ける”べき”とは言えないよなあ、とも思う。むずかしい。

ブログ「いらけれ」

2015.12.15 渋谷らくご「しゃべっちゃいなよ」より





受賞者の皆様、本当におめでとうございます。

ブログ「いらけれ」

四時にはもう暗い。イルミネーションが灯っている。電車の中では、いろいろ考えてしまう。言語環境を変えていく必要性について。

時間をつぶせない。つぶしべただ。本を持ち歩こうと思う。買ったままのものを。

渋谷らくご、六者六様を楽しむ。

喜多八師匠は、落語を聴く幸せを感じさせてくれて、まくらから心がじんわり、心地よくなる。来年も、たくさん聴きたいです。

例えば「文学が好きなのではなく、文学を好きな私が好き」みたいな、これはどのジャンルでも言われることだから、何でもいいけど、そういう問題があって、それ自身は個人の楽しみ方だからそんなに悪くないんだけど、それが容易に他者への攻撃につながるのが不味い。

複雑さを省略した考察がもつ力と、そこでこぼれ落ちていくもの、その両方を考慮すること。

ブログ「いらけれ」

二日酔いと胃の重み。

将棋を見るけどいったん止めて、あとでちゃんと見る。

馬券を買わなくて正解だった。

「しゃべっちゃいなよ」は絶対いく。

夕方くらいになると強烈に眠くなる。

心がざわざわ、罵詈雑言、そんなインターネット。

無職の日曜日は気が楽。

「PSG超カッコいい」

やはりおせんべいは食べてしまうものだ。

目の乾かぬ人に生まれたかった。

文化人の過去の日記を読む。

長文を書くのは才能がいる。