「死んだほうがマシ」って言い方、ありますよね。まあ、だいたいそんな感じで毎日を生きてるので、私は「生きたほうがマシ」だなんて、そう思っているわけではないです。この私に、そう思える時が来るのだろうか。この日常は地獄だから、到底無理そうだ。
だから「生きたほうがマシ」というのは、単なる言葉遊びで思いついただけ、死んだを反対にしただけのフレーズでした。でも、それだけで詩的な表現になったから、こうしてタイトルにしてみたんです。誰かがパクって使えば良いのに、という思いで(いや、すでに使われてるのかもしれない。検索とかはしてないから分からない)。
しかし今の私は、やはり外に出すことは大事なんだなと思い始めてるところで、なんか「生きたほうがマシ」って気分になってる。死んだらどうなるか分かんないし。見たいものとかあるし。冷静になって考えてみれば、「死んだほうがマシ」という言葉のほうが嘘くさいというか、そう言いながら生きる私を見つめる自己愛という感じで、なんか嫌になってきますね。「生きたほうがマシ」や、うん。
人を思うってどういうことなんだろうなーと思う春、いや、春ももう終わりですね。「青春はめぐりめぐって 夏がすぎ冬をこえたら アメージング! 何度だってフレッシュ」とBUGY CRAXONEは「ふぁいとSONG」で歌っていた。私がそれを聞いていたのは、大きな霊園のなかです。やっぱ良いなー、BUGY。「かっこつけたい年頃の はずかしい夜がたからもの」(「ぼくたち わたしたち」)とか、「センスや才能じゃなくて 本気かどうかって夜を 何度ものりこえていくんだ」(「とぼけたおとなにならないで」)とか。聞いていたの昼間ですけど。
BUGY CRAXONE『Lesson 1』Music Video
それで、今日の一曲はこれです。前に紹介したつもりだったけど、今サイトを検索したら、していなかったみたい。「Lesson 1 自信もって 胸をはって 自信もって Lesson 1 自信もって ひとりひとりあゆむストーリー」。人生はレッスンなのかもしれないですね。でも、なにを学んで、なにを覚えて、なにができるようになるのだろうか……。
綿毛になったたんぽぽを見て、花が咲いていたんだなと思う。私が花を見る前に、綿毛になってしまった。なぜだか日記のアクセス数が増えていますが、なにが面白いのか教えてくれないので困ってます。心が揺れてるのが良いんでしょか。それは分かる気がする。そういえば、先日この日記を読み返していたら、初詣で引いたおみくじに、「『心の美しさは あなたに揺るぎない自信と豊かな人生を与えます』と書いてあった」と書いてあった。本当にその通りだとその時は思えなかったのに、今は思える。
生きたほうがマシ 1
必要な時間 3
読んだもの:いまあえて主張しないといけない。複数性とは「悪」である:これからの〈らしさ〉のゆくえ #1 千葉雅也/アニメ「少年ハリウッド」特集 鈴木裕斗(大咲香役)×須貝駿貴(QuizKnock)対談/ハシノイチロウ「爆音でかかり続けるよヒット曲#13『アルバム再現ライブが流行った理由』」/柴崎友香「てきとうに暮らす日記 17、18」/山下澄人「眠れぬ日々 改」1
見たもの:ダースレイダーx矢野利祐&村野智弘「オンライン教育の今後を考える」/【YouTube無料生放送】大森望 × 豊崎由美、芥川賞/直木賞選評メッタ斬りスペシャル
聞いたもの:「LL教室の試験に出ないJ-POP講座」4月25日放送分
よくある昼間に歯を磨いて、私に一番似合わない鮮やかな色の服で出かけるとき、とにかく人とすれ違わないコースを選んでいる私は、心の奥底にある怖れを自覚しているけれど、最後のところで私には関係ないだろうという能天気さがなければ、そもそも外出していないはずだ。私のなかにある恐怖と楽観は、円グラフでどちらかが大きいというものでもなくて、どちらも100%だから結果として競り合っているような感覚があり、まったく正しくないがそれは、「私は生きている」という実感につながっている。生活はすでに、スカイダイビングやジェットコースターのようなものになってしまったのかもしれない。
線路の向こうには、違う社会があると思っている。そこに引かれた一本の線が、私たちの暮らしを規定している。南口のA君とは、まるで分かり合えないという気になっている。大きな霊園の小さな入り口(それは正門ではない)のすぐ側に、高さが1.8メートル以上あるトラックは通れない小さなトンネルがある。トンネルが線路の下を潜っているから、私も線路の下を潜ると、異世界に入り込むようだ。そこには、家とカオスばかりがあって、今にも壊れそうな古い家の隣に、真新しい一軒家が売りに出されている。平日昼間に人は通らないだろうという油断で、少年は狭い路地で全力を出し、突っ込んできた猛スピードの自転車を間一髪で避ける頃には、時計の針は2時を指している。
私が底にいたのは、なにも手につかなくなってしまったからだった。朝に送った連絡の返事を待っていた。断られたらショックだなと思っていた。住宅街のなかには、ポツンと一軒家ではないが、ポツンと神社があるから私はここに来たかった。読んだことがなかったから、由来が書かれている板の前に立ち、読み、そしてすべてを忘れた。神頼みをすることはなかったが、縋りたい気持ちがないとは言えなかった。
次の神社に向かう途中で、聞いていた曲を切り替えようとして通知を見た私は、祈ってもいない神に感謝した。すぐ家に帰ってから、その友人と話すためのネタを、Wordに書き出していた。仕事でも作らないような資料を作った。そうやって生きている私を、私が嘘みたいだと思うけれど、嘘も一つの本当なのかもしれないと、私が死ぬ時には、そう思えているかもしれない。そう思えていたら良いなと思う。
必要な時間 2
読んだもの:柴崎友香◎「てきとうに暮らす日記 16」(なんとなく人が浮かんだ。今度話してみよう)、「〈公共〉〈社会〉とはなにかを考え、話し合える社会に」【離れても連帯Q&A】/ナツノカモ「着物を脱いだ渡り鳥05」/野矢茂樹×サンキュータツオ「そっと何かをめくる トークイベント」(絶対に後編まで読んでほしい。「よ」と「ね」の話とか、かなり興味深い。あと笑いと安心空間の話は、今日読んだことが神の導きとしか思えないほど、自分にとってタイムリーだった)
見たもの:Wonderful World 第一回「危機と音楽」-ゲスト 岩崎太整-/◎米粒写経 談話室(面白すぎた。二人でラジオ番組持ってほしいなあ)
聞いたもの:本と雑談ラジオ「第105回本『不死身の特攻兵』『百の夜は跳ねて』」/東京ポッド許可局「再放送直撃論」/僕おも「新企画案・ほんとうにオリジナルTシャツをつくる」
とても恥ずかしくなって、血の気が引きました。急に申し訳なくなって、気が遠くなりました。いろいろ考えた結果、自分は卑屈だということだけが分かって、涙がこぼれました。卑屈のオリンピックなら代表選手になれるだろう。もう名字を"卑屈"に変えたほうが良い。卑屈と呼べよ。服を着て歩いている卑屈が、幸せになれるわけないだろう。卑屈だよ。
仕事に逃げたから、くだらない資料整理で終わらない一日に、冷蔵庫の奥に一つ残っていたエナジードリンクを飲んだら、身体が燃えた。ドーピングで元気になったら眠れない頭に自動的に湧き上がる思考が脳の芯のあたりを締め付ける感覚を味わう夜のなかの夜。
遠く向こう側の空は青く、頭上も雲がかかっているとはいえ明るいのに、アスファルトに出来たばかりの水たまりを跳ねる大粒の雨は、不規則的なパターンを眼前に広げ、神社の前の坂を滑り降りる川になり、出かけたら突然大雨になるのは昨日と同じだが私は、「てきとうに暮らす日記 14」に
ときどき、小説に書いてある風景を心象風景みたいな言い方で天気だとか場所の様子が登場人物の気持ちを表していると解説されることがあるけども、わたしは逆だと思う。天気が悪いと落ち込むし、晴れると気持ちが上向くし、人間の心が天気に影響はしなくて(勝手に解釈することはあると思う。悲しいときに雨が降ってるとこの雨は自分の気持ちみたいと思うこと)、天気や場所が心に影響する。
と書いてあったのを覚えているから、夏の夕方のようなこの天気が、私の心を表象しているとは思わないけれど、私の心のようなこの天気が、私の心にどう影響しているのかを考えていた。
傘のなかで、憧れのプロ野球選手に野球を教わることになった子どもは、それが憧れのプロ野球選手の時間を奪うことになったとしても、憧れのプロ野球選手に野球を教わるという輝かしい経験のために、教えてもらえるなら教えてもらうだろうし、願いが叶わないとしても「また教えてください」と、自分のために言うだろうと思った。
Elvis Depressedly – “Who Can Be Loved In This World?" (Official Audio)
今日の一曲を、(この日記のなかでは)おなじみのRun For Cover Recordsより。エルビス・プレスリーと憂鬱(Depress)をかけあわせた名前というのが、もうヤバいですよね。それでいて曲は普通に良くて、あの落ち込んだ気持ちを、そのままにしてくれた。
必要な時間 1
読んだもの:プチ鹿島「「プロレスラー馳浩」について。」/矢野利裕「5月以降の学校について」/◎柴崎友香「てきとうに暮らす日記 13、14、15」(本当に、毎日さっとさりげなく、とても大切なことが書いてあって感動する)
見たもの:◎ヨーロッパ企画の暗い旅#175「ワンナイトあの恐竜フィーバーの旅」(息苦しくなるほど笑った。とくに泣き虫石田さん!)
Apple MusicのWeb版がリリースされたということで使ってみる。iTunesが使いづらいんで、改善されるかなと期待して、ボタンをクリックしてから再生まで時間がかかるなどやはり使いづらくて、良いことばかりではないなあと思う。日常。
予約してから発売日になってもなかなか発送されなかった『ことばと』が届いたので、ぱらぱらと読む。面白くて、うむ、となる。
自分のことではなく、ひとのことを考えているときひとは、ひとらしくなれるのかもしれない。自分について思い悩むときひとは、考えを進めているつもりで、ただ深みにはまっているだけ、階段を上っているつもりで、エッシャーの絵のように、その場でぐるぐるしているだけなのかもしれない。ひとのことを思うときひとは、自分ができることに集中するから、それは悩むというよりも考える、考えるは悩むより大きい、あの日の湖のように。
という夜。夜の霊園。後ろから私を抜き去るランナー。ビクッとする。
やさぐれて、「こんなことやって、何になるんだ気持ちわりい」と書いたけれど、見たり聞いたり読んだりした経験が、唐突に役立つから人生は分からないと思う。知らぬ間に足腰が鍛えられている。苦しんだことが人生の滋味になり、楽しんだことが精神の筋力になる……なったら良いなと思っている。なってないと困る。面白い人になっているだろうと期待している。この孤独のような誰かの孤独を紛らす、いつかの時を待ちながら、ただただ蓄えている。そうして豊かになった人生を、カトブレパスのように糧にするのが小説家だと『若い小説家に宛てた手紙』に書いてあった。もしかしたら、少しだけ近づいているのかもしれない。そろそろ出口にいるはずなのに、私は園の真ん中にいる。道に迷っていると気づく。
出口の左側の道がキラキラしている。工事中で、舗装されているところと、されていない砂利道が渾然となっていることを教えるために。とても綺麗だから嬉しくなって写真を撮る。真アドレナリンのウイニングラップで、「暗い場所で見る光も悪くねえ」と言っていた輪入道のことを思い出しながら、そうだ、ここをもう一周しよう。

