ブログ「いらけれ」

「2018/09/03 今日のボイスメモ」
私のやっているポッドキャストが更新されました。
なんかノイズが入っているのは、マイクをポケットに入れたまま洗濯してしまったため、壊れていたからだと思われます。あと、アドレスに日本語が入るようになってますけど、配信に使っている「Seriously Simple Podcasting」というWordpressのプラグインの仕様変更によるものかと思います。変更できませんでした。
そんで内容ですけど、なかなか難しいですね、話すというのは。どうやったら面白くなるのか、真剣に考えなければ。次回はもうちょっと頑張ります(って毎回言っている気がする)。

西友で2000円という破格の安さに、くだらない靴を買ってしまう。あまりに古い靴を履いていたから、買いたいなとは思っていたんだけど、あれは好きな靴じゃなくて、特別安い靴だ。やっぱさ、好きなもの身につけていたいよな、誰に何言われても。そういうところから、日々のメンタルコントロールって始まると思うの。だからさ、もう少しちゃんと稼いだら、好きな靴買おうと思う。

千葉雅也さんのツイッター面白くて好きなんだけど、見てると、仕事に使っているアプリ?サービス?が勝手に仕様変更して困っているというつぶやきをよくしている。これってインターネット以降の出来事で、それこそツイッターとかもアップデートで勝手に変わって、タイムラインに人のいいね(前はお気に入りって名前だったね)が流れるようになったりするわけだ。手に入れてさえしまえば、自分で好きにいじって、自分の世界を作れていた。例えば、本に赤ペンで書き込んだら、それは独りでに青色に変わったりしないけど、ネットサービスやアプリにはそれがあり得て、なんかすごいなって思う。「自分が完璧に整えた設定が、外側の手によって勝手に変わる」って、とても哲学的な何かなのではないだろうか。

スマホでラジオを聞く、スマホのイヤホンジャックが壊れている人に語りかけたい。僕も、だいぶ前からアレが壊れていて、左耳のイヤホンから音出ないし、ラジオクラウド(ラジオクラウ怒!)っつうのがあるから、普通の音楽プレイヤーを買うわけにはいかない(聞けないからね怒!)。iPodは高い。買い替えても、どうせまた壊れそう。二台持ち?とかも考えたけど……電話もカメラも使わないスマホを買うのも違う気がする。そこで!!Bluetoothのイヤホンが急上昇するわけです、主に僕の中で。Bluetoothのイヤホンなら、イヤホンジャックいらないからね!このその手があったか感。しかーし、Bluetoothイヤホンってどんなもんなんですか?実際使えるもんなんですか?通信が切れたりしない?などなど、そのあたりは……知らない。各々で……調べて。


洪申豪 – Morning / 吠吠狼TV

僕の中で、洪申豪が特別すぎる気もするけど、本当に良い曲だなあ。訳詞もいいんですよね、これがまた。ちなみに、このブログ記事のタイトルと、「憂鬱を追い払う事はできない」は、訳詞からいただいています。拝借してばかりでは申し訳ないし、あと純粋に欲しいから『bored』買おう。

ブログ「いらけれ」

今というのは、ないがしろだ。いつも、過去のことを思い出している。楽しかった記憶を反芻し「あの頃はよかった……」と思ったり、「あの時ああしていれば……」と後悔したりしている。あるいはいつも、未来のことを考えている。1年先、10年先、50年先の自分や世界を考えて、憂鬱になったり、不安になったりしている。
でも、そんな人ばかりじゃない?ほとんどの人間は、現在に居ながらにして、過去か未来に引っ張られながら生きている。それも、良くないことだと分かりながらね。とはいえ、過去も未来もなければ、今が味気ないものになってしまうのは確かだし、それらがないものは人生と言えない。だから時々、我に返るように今に返って、今を確かめるように生きるのが、そういうのが大事だなって思う。しかし、人間に今しかなかったら、つまり過去の記憶や未来の予測がなかったらと、そんなことを考えてみるのも楽しい。

2018/08/26「そのコトにプレミアム料金を払いますか? 〜課金化する社会のゆくえ」
なんか先月のLifeは面白かった気がする。僕みたいな貧乏でも、Apple Musicに加入していたり、高い携帯料金を払ったりしているからだろうか。あと、西武新宿駅から帰るときに、「拝島ライナー」なる指定席の電車をうらやましく眺めているからだろうか。あの一本を、普通のものに変えてくれれば、僕の乗る駄電車がもう少し空くかもしれないなんて、思っているだろうか。
自分の「ホルモン分泌」にお金を払う、なんなら限界ギリギリまで「浪費する」のはいいとして、しかしそれを提供してくれるシステムが、僕たちを本当に幸福にしているのだろうか、「デザインされた依存症患者」になってはいないだろうか、という問題。とにかく社会やお金にまつわる環境がドラスティックに変わっているから、そこに対するとまどいが出てきているという、そういう時代なのだなあ。

とりあえず一か月は働けた。いろんなことはあったけど、一か月という単位が感慨深いぜ。一年以上働いていなかったのだから、まずは上出来だ。先のことはさっぱり分からないが、もう少しは生きられるだろう。

先日買ったプランターズのミックスナッツがマジでうまい。一口目はしょっぱく感じたんだけど、食べていくうちにちょうどいいというか、もう止まらなくなる。見たことないようなナッツが入ってて、それを途中で挟めるのも飽きないし。つまりずっと食べちゃう。まるで中毒者。食べ過ぎるのでダイエットにはならなそうだけど。
一緒に買ったカルーアが甘い。甘くて飲みやすい。カルーアミルクももちろん美味しいんだけど、サイダーとか、コーラに少し入れて飲むのもいい。飲み過ぎるので太りそうだけど。
つまりですね、このブログに書かれている「なんか良いこと風な文章」も、ナッツをポリポリ食べながら、カルーアを飲んでいる人が書いているんだと、そう思いながら読むと感じ方変わりませんか?ということです。

ブログ「いらけれ」

夜の九時半に書き始めている。終わったと思ったろ、俺。もう少しやるぞ。もちろん、俺は俺のことが手に取るように分かるし、このブログのアクセス数だって、完璧に把握してしまっているわけだから?そりゃ、落ち込んでいるのも知っているが、俺は怪文書きとして、あるいは頭のおかしな人として、生きていかねばならないのだから。
追記:十一時には書けました。いいかげんな仕事をして、書き終わりました。これを最後まで読んでしまった人の気持ちを考えると、慙愧に堪えないですね。

人生で初めて、一日に二回、行きと帰りの電車で、席を譲ってしまった。一回目のベビーカーを押すお母さんには「すぐなので」と断られたけど。
基本的に、電車で席を譲ろうが、頑なに座ろうが、黙って席を立とうが、どうでもいい小さなことだ、どれもね。でもまあ、声を掛け合って、お互いにハッピーになるならそれでいいじゃんって思う。これは"思想抜き"の話で、そっちの方がいいなら、そっちの方がいいというだけの、同語反復的なお話し。
当たり前だが僕も、どうしようもなく辛いときは、譲れないかもしれないし、何かに怒っているときは、そんな気持ちになれないかもしれない。だから、他の誰が譲らなくても、それはその人の事情があるのかもしれないし、どうでもいいことで、自分ができる範囲でいい方を選んだほうがいいってだけなわけでね。
しかし、こういう風に考えられるようになって、声をかけられるようになっただけで、人として少しはマシになったのかなって思う。おいちゃんも、いじめたり、いじめられたり、ゴリゴリの反抗期とか、バリバリの不登校とか、いろいろやってんのよ。だからさ、どうにかなるもんなんだなって思うし。

「289 熱量と文字数 【長濱博史のアメコミヒーロー映画論】」
そうそう、その電車の中で、これを聞いて笑っていた。「でも、心には何か残ってんだよ」、「控室でボコボコにしてくれた」、「徹夜で考えたとしたらどう思います?」とか、監督の名言が多すぎるう。やっぱり、この過度な熱さや本気が、クリエイターには必要だよなあ。

1日だったから、こんなことを書いている。1日だったから、これから挫ける誰かのために書いている。1日だったから、掛かっているカレンダーを一枚ちぎって、フランクフルトの景色が壁に開く。某新聞のカレンダー。あらゆる宗教団体と僕は関係がない。

またアンケートを始めてしまった。アンケートに答えると、一円がもらえたりするやつ。Amazonでお金を使ってしまっているという焦りが、なぜかこちらで埋め合わせをしようとするという、おかしな方へ行ってしまった。
やっていて面白かったのは、年齢を問われると、一度「25」と打ち込んでしまうことと、職業を問われると、一度「無職」にチェックをつけてしまうこと。意識は変わっていても、無意識は変わっていないということか。僕は26歳のアルバイターだよ。どうすんだよ、本当に。

ブログ「いらけれ」

鼻から吸った息が、やる気に変わるのを待ってる。強めに作った水割りも、早くやる気に変われって思うけど、少しも執筆は進まずに、ただ少し酔うだけだった。

ブルボン小林『ぐっとくる題名』を読んでいる。
読んでいて、ボンコバさんの書くものを読むといつも感じることだけど、自分の気持ちに素直だなって思う。というのも、僕なんかだと何かに触れたときに何かを思ったとして、「他の人も同じ感想なのか」とか「自分の感想が外れていないか」とか考えて、時には検索までしてしまう。ボンコバさんは、自分が思ったことを素直に書いているように見える。もしかしたら考えと違うことを書いていることもあるのかもしれないけど、少なくとも読んでいるかぎりにおいては、誰がどう思っているかとかどうしたら受けるかとか、そういう皆の顔色を伺うようなことをしていないように見える。誠実ってそういうことだろうし、だからボンコバさんの文章が好きだ。
すごいなって思うのは、本当は強引なことを言っているのになんだか納得させられてしまうこと。「~だと思えてくる。」とか「~のような感じがする。」って書いてあると、遠くの方に「ん?」と思う自分が間違いなくいるんだけど、なぜか自分も同じことを思っているかのようになって「うん。」とうなずく自分が勝ってしまう。テクニックってそういうことだろうし、だからボンコバさんの文章には強さを感じる。
それで、おそらくこの二つは相互に関わりあってお互いに効果を高め合っていると思うんだけど、それをあなたに納得させるように書くほどのパワーは僕の文章にはないのだ、今のところは。

つか、9月じゃん。よく生きたよ、オレ。

このサイトにも、僕の好きな人に原稿書いてもらいたいなー。しかし、「原稿料 相場」でググってほしいけど、お金のないアルバイターには難しいよなー。でも、物書きの人はそれで生活しているわけだから、安くお願いするのは失礼だしなあ。PVで収益が出てるわけでもないので、完全に自分の趣味として、いやでもお金を払えば、(おそらく)自分の好きな人に文章を書いてもらえるんだから、それはそれで夢のある話な気もするなあ。お金がたまったらお願いしてみようかなあ、ダメもとで。CDを買うみたいに、書籍を買うみたいに、コラムを(書いてもらうという形で)買えたら面白いだろうな。
そうそう、これから毎月、CDと本を買っていこうと思っていて(実は、服とお酒も買っていこうと思っていて)、来月の候補は、CDだと洪申豪『bored』です。「YESASIA」というサイトで買えるっぽいことが分かったので。でも、使ったことのないサイト怖いなあというのもあり、まずはPayPalの使い方を覚えることからかな。本は、保坂和志『小説の誕生』かな。小説論三部作、とりあえず早く読まなきゃ。

様々な文体で書いている。それは確実に、仕事に役立っていると思う。でも、一向に文章が上手くならない、上手くなっていないと感じている。まずは文体を作って、同じように書く練習をしたほうがいいのだろうか。書くことがつまらなくなりそうだから、できればしたくないのだが。しかし、このやり方で読者が増えていないわけで。少し考えなければ。