生きてしまったばっかりに
このところ、つまらない話ばかりが続いていないか。(心の)本棚のどこに置いたらいいのか分からない文章を書きたい。あなたを悩ませたい。生活のなかで胸がぎゅっとしたり、ざわっとしたり、その感じをそのまま伝えたい。あなたに移植したい。日常の謎を解きたい。あなたをはっとさせたい。目標も壁も、大食い選手権で積み上げる寿司の皿も、高い方が良い。
満足していないし、後悔していない。書いた小説についてだ。将棋のゲームで負けが続いたから、詰将棋アプリを久しぶりにダウンロードした。そして実感した、粘り強さがなくなっていると。図面を一目見て、第一感の手を指してしまう(そして、不正解)。間違っても、また指せばいいと考えている節がある。昔のように耐えて堪えて、頭の中で正解を探せなくなっている。耐えるのも堪えるのも苦痛だから。
決められた文字数に到達することばかりが上手くなった。その分、なめくじのような速度を失った。終わらせる根気強さと引き換えに、終わらせない粘り強さを手放した。迷わなくなったのではなく、迷えなくなったのだ。小説を書きながら、すぐに飽きた。書くこともそうだが、主に書かれているものに対してだ。主人公が街を歩いている。飽きたので、赤信号で停まるはずのライトバンのブレーキを壊す。リリーフでの登板を繰り返す内に、先発ができなくなったピッチャー。ユーチューブに慣らされて、スクリーンの前が辛くなってしまった俺。日記の弊害。
薄暗い居酒屋の黒い靴箱が靴で埋まっている。ようやく見つけた隙間にスニーカーを入れて座敷へと上がり、先に座っていた川越先輩の後ろにあるハンガーに上着をかけてもらった。それから座布団に正座して、様子をうかがってから足を崩した。真っ黒なテーブルの上は、アボカドの乗ったサラダとか、パスタを揚げた何かとか、刺身の盛り合わせとか、唐揚げとか焼き鳥とか、むやみやたらに頼まれたものでいっぱいだった。
乾杯する前から続いていた会話は、客の悪口へと話題が移った時に一段と盛り上がり、その興奮は、いつも閉めの作業の直前に来店するおじさんの話題でピークを迎えた。「クソジジイが」「腕時計だけ妙に高そうなのがウケる」「せめて何か買ってほしいものよね」いつも口数の少ない井荻さんも、そんなことを言うんだと素直に驚きながら、僕も口を開いた「中井さん、亡くなったらしいですよ」。えっ、と一拍だけ間が空いた。当然のように悲しみはなかった。ただ、別にそこまで嬉しい訳でもないようだった。落合さんが発した「へえ」を合図に、生きている人への悪口は、いなくなった人の思い出に形を変えたが、悪口は悪口だ。皆が楽しそうだったから、僕は唐揚げを食べた。冷めて硬くなっていた。明日もバイトだな、と思った。
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