6月15日の
一週間前のことって、どうやって思い出すのだろう。確か、結構な雨が降っていた気がする。梅雨だからだろうか。うっとおしいなと思った。
それにしても、写真が下手すぎやしないだろうか。スマホを安物に変えたとはいえ、程度というものがあるだろう。別に、きれいな写真を撮りたいわけではないし、どうでもいい。
日記とは、全然自由なものではなく、そこには様々なことがあったし色んな人がいたけれど書けない。それらはすべて、いつか僕に書かれるためにあり、まったく別の形に変奏されるためにあるのだ。
友人と行った、この日の公演自体はとても面白く、今年一番笑った。見に行くといつも、「そこに人がいる」というのは思いの外パワーがあって、画面越しに見るのとは全然違うんだな、と思う自分がいる。しかし、生中継との本質的な差異は分からないのだ、なぜなら、その回を客席で見るということは、まったくプレーンな状態で、映像で見ることはできないということだから。
「渋谷らくご」2日目
6/15(土) 17:00-19:00台所おさん-家見舞
柳亭市童-野ざらし
柳亭小痴楽-強情灸
林家きく麿-スナックヒヤシンス1・2来場者 106名#シブラク
— 渋谷らくご 7/12~16@ユーロライブ (@shiburaku) 2019年6月15日
家見舞はスタンダードナンバーなんだなあ。ラジオの番組とかでも、色んな人がやっているのをよく聞く。家に帰って、その日のTBSラジオの朝番組をチェックした。客席にいた人は、みんなそうだろう。ただただ、ラジオで聞いたマジックを、そのまま話して面白いのはすごいなと思った。
王道の野ざらし。技術に感心する。年齢が近いのだ。尊敬する。
怒涛のまくらが20分弱。もちろん、現在進行形で見ていたときには思わないことだが、まくらを話していた人が、落語を演じているというより、落語の中の人が、まくらを話していたというような印象すら、終わって振り返ったときには抱いた。
衝撃。これに似た感覚が……と思い出していたのだが、昔昔亭桃太郎をシブラクで初めて見たときの、あの、笑いという名の角棒で殴られるような感じだ。構成とかストーリーとか、めちゃくちゃやっている一方で、実は、相当に細かい操作(後の素っ頓狂なセリフを観客が受け入れられるように、それより若干弱めで似たような語感のセリフを先に言っておく、など)をしていると思うのだが、高座の間は、そんなこと気が付かないぐらいに、ただただ笑っていた。
その後、久米川まで戻って飲み。メキシコ料理屋で。チョコレートソースがかかった肉とか、サボテンのサラダとか、初めて食べるものばかりだったけど、来るもの来るものうまくてビビる。テカテビールもおいしかったし、また行きたい。とにかく笑って、おいしいものを食べて、幸福な一日だった。
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