なくなって、ない

ブログ「いらけれ」

現実が一番シビアだ。何よりも増してそうだ。結構、わりとマジで、うまく動かない脳と心を引きずって、どうしようか悩んでいる。だいたいのことは、自分が悪いのだけど。生活がきゅうきゅうとしているのは、一方では、週に5日働くことの出来ないダメ人間だからだし、そして大したことのない大学にしか行けなかったことで、まともに就職できなかった(できない)のは、中学校に行けないダメ人間だったからだ。なんて夢のない話をしているんだろう、僕は。ずっと僕は、あらゆる局面で劣ってきたし、それはこれからもそうだろう。これから終わる人みたいになってるけど、終わったのは僕ではなく「ぷらすと」の方(一応、まだ「続きがある」という話もあるが)で、もちろんショックだけど、終わるだろうなと思っていたので、心の準備はできていた。

終わるのはおそらく、儲からないからで(儲かるならば、やめる必要がない)、でも、そこにこそ価値があるような番組だった場合、どうしたらいいっていうんだ。映画や音楽、アニメといったジャンルだけではなく、SFやNBAですら大きな話題で、キッチンカーやハワイ、サウナ、イスという「誰が聞くんだ(俺だ!)」というようなテーマまでエンターテイメント、あるいはカルチャーといった方面から語り、そして、こういったニッチな回の方が面白いという、30分だって黙って話の聞けない現代人に向けた番組としては、とても非効率的で不経済的な取り組みが負けていってしまうのは当然で、きっとニコニコ動画というプラットフォーム自体から人が去り、集客が厳しくなったというのもあったのだろうが、それは置いておくとしても、しかし、こんなことは始まる前から、いや始まった後でも分かっていたであろうことで、スポンサーしてきたのがメディア企業だから、行っている事業に関係する部分も大きかったとはいえ、ある種メセナ的な意味を持った、あるいは、そういった志を持った活動であったのは間違いのないことだろう。

僕は、金が儲かったこと、より金が儲かるようになったことを、良いこととして話す人や、そのように取り上げるニュースを、はっきりと馬鹿にしているが、それは、効率的に課金を集められるようになったソーシャルゲームと、何が違うのかという問題意識でもあり、「金が儲かる=良い」という等式が成り立たない程度のことが、分からない人々への絶望でもあるが、でも儲かっていれば、なにかしらの形で続けられるという良さがあるのも事実だ。とにかく、すべては終わるんで、終わったものを寂しいと言っていてもしょうがないので、寂しくて辛いなら、サイバーエージェントの藤田社長みたいに、自分が金持ちとか権力者になって、自分が理想とするものを作るか、『東京ポッド許可局』のように、自分が理想とするものを作って、それを別の誰かに認めさせてお金をもらう立場になるか、それしかないわけで、あと、「届ける相手のサイズ感と、オンラインサロン等のマネタイズを考えれば(こういう話し方をする人が、僕は嫌いだ)」、工夫の仕様はあったかもしれないし、生まれたときから生まれると思っていなかったように、あらゆることは常に、気づいたときには切迫した今として、9回2アウト満塁でマウンドに立つしかないんで、まあ、そうやって焦たまま10年20年かかるのかもしれないけど、番組も人も死んでも、理念や理想は、ゾンビのようにしぶといのでね。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤