何を手に入れたのか

ブログ「いらけれ」


「現在位置~You are here~」スネオヘアー

決まったように向かう先に
吸い込まれる人たちに

スーツを着る。潜水服のようだ。締め付けられて、どんどん息苦しい場所に潜っていくかのようだ。「この日、スーツだわ」というと、母は少し張り切って、奥にしまってあった一張羅を引っ張りだしてくれる。そのことに、居心地が悪くなる。こういう甘えた暮らしを続けていたら、私はずっとこのままだという気がする。もう二度と着ないと思っていたそいつは、そこまで太っていなかった私のおかげで、捨てられることを逃れた。

ベルトをまじまじと見る。真ん中の辺りに、切れ目が入っていたから。折って置いておいたからだろうか。使ってなかったものを、急に使おうとすると、思いもよらないことが起こりがち。新しいの、買っておかないと(その数日後の私は、しまむらで700円ぐらいの黒いベルトを買った)。だいたいの準備を終え、明るい色のネクタイを首元に一周させたところで、頭の中には結び方がなくて焦る。デジタル時計のイメージが鮮烈に浮かび、タイムリミットが迫ってくることを教える。何度か手を動かしていると、それらしいものになる。もう少し、ちょっと違うと試行錯誤するうちに、毎日スーツで出勤していたころのことを思い出している。あの頃の私の方が、今の私よりも確実に立派。辛かった記憶と一緒に、手順を完全に思い出して、ウインザーノットの結び目が出来る。私は、この結び方しか知らない。

圧倒的な不自由を感じる。いつまでたっても、スーツというものを理解できない。いや、その見た目のカッコよさについては、それなりに同意するが、"就職活動"とやらにおいて、あるいは、おおよそのビジネスにおいて、それを着ていなければならない理由が分からないというか。だって、不自由じゃない。静寂とは正反対の地下鉄の車内で、『静寂とは』という本を読み始め、これから先に何が書かれているのかが楽しみだったときは、それなりに元気だった。駅を出て歩き、ビルに到着したらすぐに開場時間となったようで、イベントのある地下講堂へ、それまで待っていた人の背中を見ながら、階段を降りていったとき私は、はっきりとうんざりした。クラクラした。

知らなかったのだが、そのイベントの前半部には、就活セミナーと呼ばれるようなものがくっついていて、それにも私は辟易した。もう一度、こんな場に来る羽目になるなんて、思ってもみなかったことだ。私は、数年前に何度も、同じような内容のセミナーに出て、話を聞いていた。それは、どうしても正社員として働かなければならないと思っていたからだ。そして後悔した。就活セミナーの先にある就職の、その先にある人生は、こまで行っても、マナーという名目でくだらない決まりを守るような、忌々しいマインドに縛られていると感じたからだ。これらを放棄し、あるいは積極的に敵とみなしたから、私はブログを書いている。ここが守るべき砦なのだと、私は強く信じているようだったから、とてもつまらなそうな顔しかできずに、そこに座っていた。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤