2019年2月「デモクラシーCafe@東村山」

ブログ「いらけれ」

早くも5回目ですかー。2月17日に、「デモクラシーCafe@東村山」に参加してきました(会のブログはこちら)。うららかな日和の暖かな午後、今回の場所である「喫茶にじのまど」さんまで、歩いていきました。歩いたといっても、家からはかなり近かったのですが。「喫茶にじのまど」さんの存在は知っていたものの、男一人で喫茶店に入るタイミングもなく、これまでは前を通りがかるだけだったのですが、今回お邪魔してみて、とても良い雰囲気だなーと思いました。吾妻ひでおの『失踪日記』、『失踪日記2 アル中病棟』があって「おおっ!」と思ったり。良い雰囲気のおかげか、会での対話も盛り上がったものになりました。こうやって、普段は入らなかったりする地域のお店を知れることも、この会の大きな魅力ですね。お店には、いつか必ず一人で伺おうと思います。

さて、今回のテーマは「問いを作って対話する」ということで、参加者全員が話したいハテナとして持ってきて、その場で挙げられたものを見ながら、今回はどれをテーマにするのか、前半で議論しました。
挙げられたものはどれも面白そうで、それだけでかなり盛り上がりましたし、話してみたいと思うテーマも多かったです。平等についてや、男女別のトイレについて改めて考えてみるというような、意外なテーマまで、そのまま流してしまうのはもったいないという話になっていたので、いつか取り扱われることもあるかもしれませんね。
ちなみに、僕が何をテーマとして挙げたかですが、「模範囚物語」と書けば、読者の方(そんな人はいない!)なら分かるかもしれません。つまり、フィクションをどう取り扱うのかという合意が得られていないのだ、ということを、まずは明らかにするべきなのではないか?というようなことを、一行にまとめたものにしました。これも、面白がってもらえたようで、いつかテーマにしてもらえるかもしれません。その時がきて、そこに参加できていればいいなあ。

選ばれたのは「深く考えると幸せになれるの?」というものでした。
「考えること」と「幸せ」は、まったく別なもののようですか、人の幸福というのはかなり主観的なもので、つまり、深く考えることによって、自分が不幸せであるという思い込みから、別の視点を与えることによって逃れることができたり、しかし、考えることが得意そうな哲学者や文学者が、思い悩んで心を病んだり、自殺したりということも多かったりするわけなので、思考と幸福というのは難しい結びつきをしていると言えるでしょう。「自分は幸福だと感じる/感じない」という単純な二分法のなかにいることが幸せなのか、「幸福について考える」というメタな態度が幸せにつながるのかというのは、とても深淵なテーマのようにも感じますね。
しかし僕は、一つ間違いないことを、対話のなかで見つけました。それは、「(誰もが)深く考えなければ、(誰もが)幸せにはならない」ということです。誰もが他者が幸福になるように、自分の損得を越えて考えるようにならなければ、自分の損得ばかりを考えている誰かによって、私が幸福になることを妨げられてしまうでしょうし、逆もまたそうでしょう。つまり、本当に私たちが問うべきなのは、「私たちが幸福になるために、私たちは、どうすれば深く考えるようになるか」ということなのではないか、というのが、とりあえず僕が持って帰ってきた結論でした。

会の後には、ちょっとしたミーティングのようなものもあり、そこでの会話も楽しかったですし、今回も参加者の方と個人的な感想戦をさせていただいて、とても充実した一日となりました。こういう日が、月にもう一日あると嬉しい。なので、本当に「後藤主催の会」を作るかも……?と、予告して今日は終わります。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤