すべてのテキストのために
書く人間の生活。書き始めた人間の生活は、書かなかったころには分からなかった。書かない人間には、書く人間の生活が分からない。書くことが中心にある生活。それは例えば、初めて「自転車に乗る」ということの感覚を掴み、しかし、そこで止まり、そこから降りるための手段を持たない少年のような、回転し続ける足。少しずつスピードを出せるようになって、公園の芝生の上ならばどこへでも行けるようになって、安定して進み続けているものの、夕暮れになれば、転んで終わることを運命付けられている。転ぶまで、走り続ける。自転車に乗れない人間には、さっぱり分からない例え。
この二日くらいで、『少年ハリウッド』を2期の終わり、26話まですべて見た。10時間ほどだろうか、本当に楽しかった。少ハリについては、僕はまったくの当事者であり、冷静に見ることも語ることもできない。「スパイシーフローラルフルーティー体育館」「ごぼう&バンバンジー」のように、いくらでも小ネタを書き連ねることはできるけれど、そういうことがしたい訳じゃないし。このアニメを見ると、クリスマスが特別なもののように感じるから不思議だ。年末に芝浜を聞くように、クリスマスには少ハリを見たいものだ。
もし続きを作るのならば、彼らはネットの生配信をしなければならないだろうし、SNSも、もっと活用しなければならないだろう。放送当時はあれでよかったアイドル事情とも、今では少し変わってしまったのだなあと思った。また、続きということならば、本格的な成功と、本当の終わりを描くことになるだろう。だからそれは、ぜひ見たいなあと思う(もちろん、頭の片隅にはTWICEのこともある)。
成功に伴い、劇的に忙しくなることで、メンバーの健康問題と労働問題は浮かび上がってくるだろし、上り調子だった人気が落ちていくということも経験するだろうし、人間のように、グループにだって、死は必ず訪れる……。だから、あの素晴らしい、パンチラインだらけの、緩急の付いた脚本で、その芯の通った構成で、これらの問題にアプローチしてほしいなあと。それを見ることができたら、これから先の人生に、どれだけ支えとなることだろうか。だから死ぬまで、続きを諦めないぞ、と思ったし、なんなら「俺が有名になって、一押しアニメとして紹介してやるぞ!」とまで思った。それは無理だけど。でも、日本にいるからこそ楽しめる部分もあるのに、多くの日本人が見ていないというのは、やっぱり損してると思うし……というか、26話の完全版上映、見に行くべきなのかなあ。
クリスマスだろうとなんだろうと、関係なく一人歩く僕が並木道を抜けて、通行禁止で柵の付けられた歩道橋の辺りで、彼女とすれ違ったんだ。赤系統のニット帽で、自転車に乗って、僕は「あ、サンタ帽」と思ったけど、そういうつもりだったのかどうかは分からない。ガン見してたら目が合って、ああ、恋というのは、こういうときに始まるのかもしれない。
Young the Giant: I Got (In The Open)
I got buried
No it won’t be long before I rise in
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