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ブログ「いらけれ」

とある事情により、今日は短いブログですが、とある事情も何もなく、これから先も短いブログにしていこうと思う。だって、頑張ると虚しくなるし。これは本当に真理だ。努力の投入量、思考にかけた時間、指先を動かした数と、アクセス数があまりにも釣り合わない時、もうやめようって思う。だから、毎日やめようと思ってるってことだけど、やめてしまったら、もう二度と始まらない気がして続けている。これまでの人生で、やめてしまったことに対する後悔もあるし。新宿でストリートライブをしてる人を見ながら、今の時代、YouTubeでやる方が手っ取り早そうなのにと思ったり、もうすでにそっちもやってたりするのかなと思ったりするんだけど、とにかく、道端で立って歌うように、コツコツと書いていく。これが仕事になるとも、生きがいになるとも思わないけれど、いつかコレが、何らかの形で役に立つ日が来る気がしている。そういう偶然や、運命や、まだ見ぬ誰かや、未来の自分という他者のために、僕はやめるわけにはいかない。

家を出て歩いて、歩いて電車に乗って、窓の外を見て、落ち着いて、乗り換えのために歩いて、乗り換えて、職場の最寄りの駅に到着する。Bluetoothのイヤホンをしている。ホームの階段を下りて、改札へ向かっている。その途中のエレベーターの近くの、何の変哲もないあるポイントで、必ずと言っていいほど、Bluetoothのイヤホンの電波が途切れる。ラジオクラウドで、セッション22で、ゲストの柴崎友香の話を聞いていたのに。聞きながら、僕は、やっぱり小説を書こう、それはただ、それをしたいということのためにと思っていたのに。何が原因なのだろうか。想像も及ばないが。毒電波でも出ているのだろうか。毒電波ってなんですか?

将来のことを考えると(あるいは頑張っている同世代のことを)、とても悲しい。親の介護とか自分の結婚とか自分の老後が、脅しをかけてくる。きっとここに勘所があり、非正規の苦しみがある。はっきりと、望むことや安心すること、ただそれだけのことから疎外されている。皆、大企業に勤めていたらとか、時代が違えばと思うのだろう(もっとも、例えば私が、昭和に働き盛りを生きていたら、もっと苦しかっただろうという、それくらいの自覚はある。"アウトサイダー"が生きやすくなっていることは確かだから)。得られないものを望んでも仕方がないと分かって、それで頭を下げて生きていくこともできる。また、社会に対し意義を唱えて、社会運動をすることもできる。放棄も蜂起も、私たちの手の中にはあって、だからとにかく、幸福を諦めることだけはしてはいけないと思った。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤