「対話のボイスメモ#2」あとがき

ブログ「いらけれ」

先日公開いたしました「特別編-対話のボイスメモ#2:ボイスメモを公開する。」の、放送後記的なものです。第二回です。
まだお聞きでない方にはぜひ、これを機会に聞いていただきたいです。ここから聞いても大丈夫ですよ。

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政治の話にからめて、最近の風潮について。
「お笑い/イデオロギー/時代精神」というのは、僕の関心領域のど真ん中であって、以前に近い話もしましたね。(「とくにないよね #71 真面目にお笑いを」)もちろん、それぞれ独立した話題ではあっても、緩やかにつながっているのではないかと思っています。
「お笑い」それ自体がはらむ負の側面を、いつも考えています。そのパターンは、間違いなく現実の弱い者いじめにも転用されているし、そのお笑い的な感性が、力の強い側に付く人を増やしているのではないかと感じています(「勝ち馬に乗りたい」というワードは、これも東京ポッド許可局で話されていたことで、それを参考にしています)。
とにかく、「多数決で勝った方が偉い」という時代の感じが、僕は本当に嫌だ、浅はかだから。嫌なんだなってことが伝わっていたら嬉しいです。

「遊び心論」について。
東京ポッド許可局「遊び心論」を受けて、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んだ感想を混ぜたりしながら語りました。ネタ元にしてばかりで、本当に東京ポッド許可局様様という感じですが、あの論に少しでも何か足せていればいいなと思います。1930年代の時点で「遊びがなくなっている」と言われていると知ると、また感じ方が変わりますよね。

現代の思想・哲学の潮流から、思想的な興味について。
「観光客」は、第三回でまた出てきます。よく覚えておくように。
中庸的なことを語る思想はパフォーマンスか?という問題。中庸こそが真理なのか、極端まで行くと真ん中に戻るのか、という。
個人的にはソフィストの話ができて満足。「フィロソファーかソフィストか」、「フィロソファーの中にソフィストがいるのではないか」という問いで、議論が深まった"気"がしています。

バカが芸術をやるべき理由について
間違っている人は、間違ってしまうような人だからこそ、自己ツッコミなしで、コミュニケーション的な問題を、とても活発に、縦横無尽に起こすわけです。だから、もうインターネットでコミュニケーションってダメだと思う。そういう人を避ける術が少ないから。で、どうするか。みんな芸術をやれ、私みたいに!って話です。ツイッターからインスタへって、実はそういう流れですよね。過渡期なのかな。

次回予告
ブログについて
観光客の倫理について
芸術の再現不可能性について

次回、第三回もお楽しみに~。

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Posted by 後藤