僕は撃つ!
僕は憎んでいる。ウイニングイレブンと将棋ウォーズを。依存症には快楽によってのみなるのではないと思っている。快楽と憎しみによってなるのだ(対象を憎んでいない依存症患者はいない、とまでは言い切れないが、だいたいみんなそうじゃない?)。だから、勝つ快楽だけでなく、負けたときの悔しさから生まれる憎しみが、僕を依存症にする。そして、この二つは、僕の憎しみを増幅するツボを押してくる。だから、一日中ウイイレとウォーズをやっていた。
下図左(1)のような局面で手番のとき、下図中央(2)のように銀を上がるのが最近の好みである。チャンスとばかり飛車先を交換してこられるが、金を上がって守り、下図右(3)のような局面になることが多い。ここで相手の手番だが、角頭に歩を打つのは、角をかわされて(飛車取りだ)、打った歩を狙われる展開になるので、飛車を引き上げる人が多い。そこで、こちらから角頭に歩を打って、局面を治める。
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これが意外に勝てるんだ。「飛車先の歩交換3つの得あり」という格言もあるが(将棋連盟のコラムにもある)、その得を活かすのも中々難しいらしい。力戦志向の方は試してみてはいかがか(負けても責任は取りません)。
僕の警戒心が強すぎるのかもしれないが、小説のあらすじや内容を、断定的に淀みなく語られると、その語っている人を疑ってしまう。この小説はこういうお話で、こういうエピソードで、こういうテーマで、って言われると。何よりも、その小説に対する態度が苦手だ。小説はもっと"割り切れないもの""歯切れの悪いもの"なんじゃないのって思う。
【音声配信】「今こそ考える“元号”の意味とは」鈴木洋仁×片山杜秀×荻上チキ▼2018年5月22日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)
勉強になるなあ、と思って聞いていた。本当に無知なので、勉強になることばかりだ、ラジオは。ラジオを聞くことは武器です。武器になる。
いやさ、今回は大学と指導者の対応が著しくおかしかったから、ちゃんと問題化したけど、「もっと"狡猾に"やられていたら」って思うとゾッとするよなー。ヘタすりゃ指示があったって話も出てこなかったかもしれないしさ。そしたら全部選手のせいってことになってた可能性も考えるとね。
だいたい、やっちゃえば得ってことはあるわけだよね、スポーツのみならず。バレなければとか、ルールの中で処理されればとかさ。でも、やらせちゃいけないわけよね、人間だから。人間としての「一線こえちゃう」から。矜持とか尊厳があるからさ。そういうのがどんどん切り崩されているのが今なのかもしれないし、あるいは、一線こえたら簡単に炎上してしまうのが今なのかもしれないけど。
キーボードに向かうが、何も書けない。キーボードに向かっている時、それはパソコンに向かっている時で、パソコンに向かっている時は、気が散っている時で、書くための調べもののつもりで、菊地成孔の発言について調べていたつもりが、いつの間にか読み忘れていた映画評を読んでいて、映画の画像のややエロスに触発されて、エッチなサイトを見てしまう。まだ一文字も書いていないというのに。
何を見ても、何を読んでも面白くない。人間には二つの状態しかない。それは言葉を生み出すフェーズと、言葉を失うフェーズだ。僕は、今間違いなく言葉を失っていってる。言葉を失うということは、世界を失うということだ。人間にとっては。言葉の仮構物だから、世界は。ただ、犬を「犬」という言葉に収斂させられなくなったらどうなるのか、その状態には興味がある。「そうなっちゃたとき」というのは、それはそれで、新しい言葉を生み出すフェーズに近づくのかもしれない。
※洪申豪さんについて(『洪申豪選詩集』についてになると思いますが)は、僕の状況や、やる気に左右されますが、いつか必ず書きたいと思っています。時間はかかるかもしれませんが、気長に待っていてくださると幸いです。
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