生活1
見たもの、聞いたもの:高橋源一郎の飛ぶ教室「言葉の力、本の力」/ダースレイダーxプチ鹿島「#ヒルカラナンデス 第1回」/東京マッハ オンライン「國難ニ際シ句會ヲ配信ス」(19日までの限定公開)/◎ヨーロッパ企画の暗い旅「絶対に絶対に置いていってはいけない旅」(名作!)
相変わらず何もしていない。時間を食う虫が、部屋に巣くっているとしか思えない。日付が変わっても終わらない仕事に、午前中には開かない目蓋。気づけば開いているユーチューブとツイッター。虫が住んでいるのは、部屋ではなく、この頭だ。
桜の終わりが春の終わりではないのに、散った花びらを見て感傷的になる。中学校の裏門の前を通るのは、何かを配る郵便配達のバイクだけだ。バイクは、堆積した花びらを踏んで行く。雨で濡れ、路面にぴたりと貼り付いているその数が、とても多いと感じる。蹴散らす、踏み荒らす人が少ないから、散ったまま残っているのだろうか。真実は分からないが、どうしても今は、すべてを結びつけてしまう。
季節は変わり続けるもので、毛玉には「花粉症」という名曲があるけれど、自転車道にはジャージを着たランナーがいっぱいいて、並木からは水滴が落ちてくるけれど大丈夫、帽子を被っているから日差しも気にならないし、スーパーマーケットで大根と鶏肉を買う頃には、もう春は過ぎ去ったという気分になっている。
今年は鼻炎薬をほとんど飲まなかったけれど、鼻水やくしゃみに悩まされることは少なくて、花粉症が治ったということはないだろうし、やっぱり出歩く機会が減ったからだろうか。それとも、私や家族がウイルスに気をつけて暮らしたから、たまたまそれが作用して、吸い込む花粉の量が減ったのだろうか。口元でマスクが前後する。鼻と口と、あと肺だなって思う。何となく、身体のこのあたりが肺の終わりかなと想像すると、そのあたりがむずむずする。
ZOOM飲み会の話題を、ツイッターで見かけるたびに胸が痛くなる私にも、ZOOMを使う機会はあって、デリカシーに期待するのは諦めたから、防音テープを買った(自分の話し声で、迷惑をかけないためでもある)。二十年近く住んでいるけれど、部屋の扉と壁の数ミリの隙間を気にしたことなんてなかった、長電話もそれほどしたことがなかったから。それは、ZOOM飲み会に誘われないのと同じ理由か。頑張ってテープを貼ってみたけれど、いまいち効果は実感できなかった。
生きていたら、百年に一度の出来事に二回ぐらい遭遇するだろうという気持ちで、前を向いている。いまや、集うことさえ禁止されている。2020年は、2011年のように、死ぬまで忘れられないのだろう。常に想像以上がやってくる現実では、バリケードが、ビニールカーテンが、アクリル板が合理的で、これまでの世界には、もう戻れない。
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