ずれたタイムスタンプ4
読んだもの:矢野利裕「1990年のブルーハーツの転向」、福嶋亮大「内なる敵と負の祝祭――震災とコロナウイルスのあいだ」
見たもの:ヨーロッパ企画の暗い旅「ネズミハンターの旅」、かえるさんの「声をひそめて」from 試聴室
聞いたもの:熱量と文字数【20年4月のヲタ・与太・編集室】
今日はなんか、あんまり見たり聞いたりしていないみたいが、もちろん見たり聞いたりしたもののすべてを書いているわけではないから、書いていなくても、ユーチューブで「沖ヒカルの夏目坂 何切るスクール365」の好きなプロの回を見たりしているわけだ。日記を書いて公開するということは、見せたい自分を演出するということである、と書いてしまう私は、あなたからどう見えているのだろう?
忘れないように、寿司を握るときの、あの薄い手袋だと思ったんだよな。あるいは、口元につける透明のあれ。初めて見たときはギョッとしたものの、いや、よく考えてみれば直接握ってもらうメリットはないし、唾を入れてほしいとも思わないし……みたいな感じで、少しずつそうなって、どんどんそうなる。私たちを隔てる壁の時代も、少しずつそうなって、どんどんそうなるだろう。
自説は、展開(てんかい)するよりも撤回(てっかい)する方が、よっぽど難しいようだ(韻を踏めて嬉しい)。
よっぽどって良い言葉。嘘っぽくて好き。あと好きな言葉は馴致(じゅんち)。いつか使ってやろうと思って、ポケットに入れている。私たちは馴致されているのかといえば、そんなことはないんだ。ないんだけど。
一時的とはいえ、良い方向にバズった(今考えれば、「寝ろ」って言えたのは幸せだったねえ)政権が力を失い、批判しか集めていない(と見えているのは、もちろん私のタイムラインの偏りなのだろうが。でも、ここ数年で良い話題のなり方なんてしたかね?「令和おじさん」とか?いやあれ、発表しただけだからなあ)政権が続いているのは、つまりはSNSが、丁度よいガス抜きの道具にしかなっていないということなんだろうし、抵抗のためのもっと良い手段はないものかと考えるけれど。同じテーブルを囲んでいる人と頷き合うのではなく、隣のテーブルの人に訴えかける方法。
カルチャーの非政治化を進めていったら、政治の非カルチャー化(はじめ"文化化"って書いたら、すごくバカっぽかった)が来たという感じ。馬鹿にされているのは知っていたけれど、あそこまでとは思わなんだ。
高橋徹也「夜のとばりで会いましょう」
気休めだったら もういらないぜ
誰かが言ってた 明日なら来ないぜ
もう手遅れかもしれない、そう思っていたとしても、やれ。
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