鎮静

ブログ「いらけれ」

こんな日もあったよねと、今日にはもうそうなっている。3月29日は先週の日曜日で、今日は土曜日だ。桜の花びらが散乱している、散る様は美しい、積み上がってふかふかしている、この量で人々を圧倒してきたのだなと思う。暖かいが適度に風があり気持ち良い。気持ち良さで判断は鈍り、白くなった視界に、黄色か緑か分からない植物が映る。本当に黄色にも緑にも見えたから、今度は皆にも見せてあげようと思う。

歩きながら私たちの間隔は空いている。付かず離れている人類に未来はあるのか、あろうがなかろうが、私の人生は続いている。頼んでもいないのに。だから私は、そういう道もあるのだと理解した。
どれだけ練習してもサッカー選手にはなれない、しかし上手くなることはできる。努力は権内だが、その能力が認められるかとか、お給料がもらえるかといったことは権外だ。才能はギフトと言うから、それは私が選んだものではない(=権外)のならば、できることを活かすという生き方もあって、だから田原総一朗ではなく鈴木謙介a.k.a.チャーリーをお手本に、その場を回していけばいいんじゃね?好きじゃないけどできるし、仲立ちでてっぺん目指すかー的なマインド。
読む人が読めば分かるだろうが、そう、最近私は『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』を読んだのだ。私は、私のことになると途端に物を考えられなくなる。私がしたいこととできること、そして、したいことの先にある仕事、将来性といったことについて、ずっと考えないできたから現在がこうなので、第6章を読みながら人生を反省して、涙がこぼれそうになった。
我が人生に主体性を取り戻す…もなにも、これまで主体的に生きてこなかったのだから、今ここから始めなければならない。昨日までの私は口を開けていた、巣で親鳥を待ちながら。LINE一つ送れないまま。そりゃ友だちなんてできないわけで、欲望と上手く付き合いながら、良く生きるためにできることをする。言うは易く行うは難し、だが、やるしかねえ。

夕方が近づいている帰り道は線路沿いの、踏切の上の歩道橋は真ん中だけ新しくなってきれいなのに、階段部分と支柱は塗装がボロボロと剥がれ、錆びついているが工事は終わっていて、古い土台に新しいものを乗せた日本のようなそれは、見れば誰もがぎょっとするだろう、数字の並びでは伝わらない深刻さが、グラフにすると一発で分かるみたいな感じ。そうか、図示するのは大事なんだなあと思った。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤