相違点、そう言って
人生の先行きが不透明すぎて、頭がおかしくなりそうだ。しかし、人生の先行きがまったくの透明でも、頭がおかしくなってしまうに違いない。これから終わりまで、たった一つの道しか辿れないとして、そのことに気がついて、そして終点までの道程を知ってしまったら、その時点で私は私の一生を体験したも同然だ。私はそこで死んでしまうだろう。つまり、不安定な生活や予期せぬ出来事が、あるいはそうした生き方を望む私が、私を生かしている。とはいえ、安らげないのは辛いし苦しいし、文化産業の担い手ではないことも、なれそうにないことも重たいしで、心が晴れることはない。
こういうのが病気じゃなかったら、どういうのが病気なんかね、と思う。昼間にやることをやって、始まったばかりの夜に出かけたら、見慣れた踏切の前で、頭の中心がぎゅうっとなった。痛くはないが、締め付けられるようだ、そして、今すぐに音楽を聞かないと死ぬと思った。音楽を聞いたからなのか、私は死なずに済んだ。
みるみる小さくなる可能性と、なかなか上向かない現実に板挟みだから、仕方がない。私はもう、救われることがないのだろう。もう終わりだとか何だとか、そういうことばかりお前は言う。この声に返す言葉を、私は持っているか。
カレーは美味しいなあと思いながら、流れる雲を見ていた。風があるんだなあと思った。ゆったりしながら、頭のおかしい子供だった頃を思い出していた。土曜日に、網川君から家に電話がきた。当時はまだ、一部の人しか携帯電話を持っていなかった。連絡網というものがあって、クラスメイトの電話番号が印刷された紙が配られていた。個人情報も何もあったものではなかった。リビングの受話器に耳を当てた私が、うんうん、すぐ行くよと話した後に、ふすまも閉じずに隣の部屋で寝転がったから、母は叱った。しぶしぶ立ち上がった私は、手渡された子機に向かって、家族の用事で急に行けなくなったと言った。行くという返事も、行かない理由も嘘だった。網川君が嫌いだとか、そういうことではなかった。網川君の家の車で私が吐いて仲が悪くなるのは、これよりもう2巻後に掲載されているエピソードなのだから。
人でなし、そういう自分を見つけると恐ろしくなる。顔面はニコニコで覆い隠しているが、定期試験の日の朝に、私がいくら話しかけても、勉強に集中していてつれない態度だった彼女に、その夜、渾身の憎しみを込めたメールを送り、次の日から無視されるようになった。何と書いたのか覚えていないところが、この話の一番の恐怖ポイントである。少なくとも、傷つけようと思ってぶつけた言葉だったことだけは確かだ。
いなければよかった。いなければよかったが、いてしまった。いてしまったマイナスは、今更いなくなってもゼロにはならない。贖罪のつもりで生きているから少しだけ優しいのかもしれないが、その優しさは迷惑をかけた人々に届かないのならば、自己満足でしかないのだから、今すぐに探偵でも何でも使って住所を調べて、ポストに5万円を投函するべきなのかもしれないな。
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