ブログ「いらけれ」

「誰かが幸せである(満足している、何かを為している)ことを不断に見せつけられ傷つき、また、自分もリア充アピールしなければならないという状況に疲れる。」的な世界……。

SNSを使わないって手も、もちろんあるけれど、それはそれで一つの主張をもった選択になってしまう。それほど普及している。

ツールとしてもっと改善されたり、別の何かが出てきたりするかもしれない。でも、解決されない問題として残るだろう。

最終的には「個人の向き合い方」というところにいくのか?
SNSが、たくさんの人を不幸にしても?

ブログ「いらけれ」

SNSは、リア充アピール(あるいは非リア充アピール)という、満足の表明をし続けなければならない仕組みですよね。満足というか、充実というか。
発信するものが、ネガティブなものでも、たとえ不満を漏らす声だったとしても、それは慰みであって、裏面の充足の表明として機能している気がしています。(私の中では「ご冥福をお祈り~」問題とつながっています。)

これを『断片的なものの社会学』「手のひらのスイッチ」と合わせて考えると面白いと思います。(良い本だからみんな読もうぜ!)

ブログ「いらけれ」

人は環境。

その手に、世界中の情報が、スマートフォンは何よりその見やすさで、そして、世界中に向けて、「私」を出すという、もう慣れてしまったが、異常が日常になった。特にSNSとかやっぱりおかしいから。

分かりづらい形で浸透している苦しみに覆われていると思いませんか。きっと、もっと良くなるはずだったのに、そうはならなかった、という感じ。

改善策は、あるのかすらも分からないという状況で、みんなが幸せに暮らす方法を考えている。

ブログ「いらけれ」

わーーーーやったよーーーー!!!!

と、ひとしきり喜んだので非常に疲れております。

応援するというのは不思議なことだけど、本当にいいものだ。それが報われたなら、なおさら!!
だから今日はもう終わり!!