もう、ほんっっとにやだ!!!ハロワいって、かえって来たら写真が無い!
撮りにいかなきゃなわけでしょ?面倒だし、サイアクだ~
髪も切りに行かないと……。足痛いのに~
とか言っちゃったりして。
ねー。
……このまま終わるのはなんか申し訳ないのでケンドリック・ラマーのビデオをはっておきます。
もう、ほんっっとにやだ!!!ハロワいって、かえって来たら写真が無い!
撮りにいかなきゃなわけでしょ?面倒だし、サイアクだ~
髪も切りに行かないと……。足痛いのに~
とか言っちゃったりして。
ねー。
……このまま終わるのはなんか申し訳ないのでケンドリック・ラマーのビデオをはっておきます。
涼しくて、歩くのにはいい季節になった。長い距離を歩く趣味があるから、うれしい。
もう10キロくらい歩いていて、夕方になっていて、巨大な霊園にそった長い真っすぐの道を通って帰る。
もう少し寒さが進むと、顔が本当に冷たくて、体が辛くて、人通りが少なくて、お墓の向こうの夕焼けが本当に綺麗で良いが、今日はまだそこまでじゃなかった。
しょうもないセンチメンタルな気分と分かっていても、ポッドキャストから音楽に変えて、ランダム再生で「歓喜のうた」が流れてきたりすると、本当に泣きそうになる。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど、心がほどけるようだ。だから、明日も頑張らなければ。
・つぶやきはすべて悲鳴かな。SNSの問題は仕組みと個人の間にある気がする。
・また別に、理論的な支えのないもの、疑似的なものに惹かれる問題も考えている。理論より感情が優先されてしまう現実。
・と、まあうだうだいうておりますが、それが楽しいという。
・一つの解決策というところにはいかず、複数の仕組みを各々が心地いいように調整するしかないのかなあ。それでも問題は残り続けるけど、少しは楽になるだろうということで。
「誰かが幸せである(満足している、何かを為している)ことを不断に見せつけられ傷つき、また、自分もリア充アピールしなければならないという状況に疲れる。」的な世界……。
SNSを使わないって手も、もちろんあるけれど、それはそれで一つの主張をもった選択になってしまう。それほど普及している。
ツールとしてもっと改善されたり、別の何かが出てきたりするかもしれない。でも、解決されない問題として残るだろう。
最終的には「個人の向き合い方」というところにいくのか?
SNSが、たくさんの人を不幸にしても?