ブログ「いらけれ」

どれほど書いてもこんなものだと、こんなものでしかないと、それが残念だと、でも、それなりに考えてんだと、でも、こんなもんかと思う。

それは、一秒一秒見逃さないように観たり、一行一行念入りに読んだり、そういう集中、たとえば落語の高座を観るときの、今日のことを決して、出来ないんだけれど忘れないぞと言うような、そういう集中すらしていないのだから、しょうがないと思う。

まあでも、三十年後とかに良くなってればいいんじゃないの。面白くなってれば。死ななければ可能性はある。

ブログ「いらけれ」

難しく考えすぎていたのかもしれない。あるいは、それとは別の問題があったのか。

書かない間、ブログのことが頭の片隅に常にあった。今までのものとは比べ物にならないくらい、もっと長いものを書こうとも思った。実際に、何度か書きだした。タブレットを使ってみたり、浴槽で書いたりもした。

それでもずっとそのままにしていたのは、身体の調子が悪くなるとともに、心の余裕がなくなっていて、どうにもダメだったからだ。

言語化して考えている私は、私の一部で、当然のように身体があり、無意識と言っても良いそこにはもう一つの、ごまかしの効かないルールがあって、それに則って動いている。

だから、こうして書かれたものがあるということは、少しは身体がましになったということで、心が少しましになったということだ。

でも、もう花粉症の症状が出ていて目がかゆいし、相変わらず仕事は見つからず、社会から疎外されていると感じる日々だ。それでも、なんとか頑張っていく。

SKIT サンプリングおじさん「頑張ったって…」編

ブログ「いらけれ」

風邪をひきました。ぐすんぐすん。
なんか黄色い鼻水を出してます。つらい。

日々思う、ニュースとか見て、だから何だと。
自分にとって大事なことしか、大事ではないので。

特別何かがあったわけではないので、今日は終わりです。



見つけたので。

ブログ「いらけれ」

今日は面接で、その帰りの電車で書いたこと。疲れてたんだと思います。
お笑いについて、好きでもないのに迂闊になんか言っちゃう人にも、寛容でありたいなと、今は思う。
だって、その迂闊さは大ボケなのだから。
自分は好きすぎて、人生の中で考えすぎていて、愛があるのだと思っている。それは、いいことばかりではないと、肝に銘じていかなければならない。
ラジオの内容の書き起こしについては、思い出しながら書いたものなので、間違ってるかも。私はそういう風に受け取って記憶していた、ということでひとつ。