ブログ「いらけれ」

電車に乗っても、上げるほどの荷物を持っていないから、まだ網棚に網が張られているのかどうか、どう思い出しても分からない私が捨てられた、あるいは忘れられた雑誌を見つける。今ではもう、雑誌が置きっぱなしになっていることもないのか、ホームのベンチの上にも、ホームの外の草むらのなかにも。
雑誌は何でもいいし、雑誌じゃなくてもいい。とにかく、誰の物でもなくなった紙の、その上のインクだ。あなたは、網棚の上にわざわざ手を伸ばして、それを取って、時間つぶしに読んでみると、意外なことにこれが面白い。いや、面白いというほどでもない。美味しいというほどでもないおかずだ。きんぴらごぼうだ。毒入りのつぶやきを摂取するぐらいなら、絶妙にどうでもいい付け合わせを食べておいた方がいい。それだけのことを、多くの人が忘れてしまう。
つまりだ、私はその程度の面白いことを書きたいと思っているのだが、この"その程度"に達するのがいかに難しいか、その辺りは一応プロ(本当にプロなのか?)だから知っているつもりだ。読み捨てられる文章、そして誰かに拾われるかもしれない文章、たったそれだけのものにだって矜持は隠されている、気が付かないだけで。気が付かれなくていいと思って書いている。かけた時間や労力が、どれだけ大きなものだったとしても。

目が痒い。目が痒いことによる生産性の低下。ひりつく粘膜がやる気を削いで、どれだけの砂が下に落ちたか。逆さにして、もう一度もう一度。そうやってまた長い時間が経って、山から湧き出た水が川になって、花が咲いて枯れて、おじいさんが赤ん坊に生まれ変わった。そのような自然に対する捉え方が変わってきたのだろう。環境問題は確かに興味深いなと思った。それは科学で、与える影響が大きくなったということもあるけれど、これまでであれば天変地異と呼ばれていたものが形を変え、私たちが介入できる対象とみなされるようになった。人間が天と地を恐れることはなくなり、それを破壊しかねない自分たちの失敗を恐れるようになった。誰かが言ってそうなことを書いてしまったのは、偏に花粉症のせいだ。

あと、よくテレビに出ているどんな家電でも修理してしまうプロの人の密着を見て、人間は分業することによって発展してきたけど、機械が進化すると逆に集約されるんだなって思った。電話でテレビを見てラジオを聞く、無限のカセットテープに音楽が入っている。すごい話だ。夢の汎用機が存在する世界は、汎用機が見る夢の世界のようにも思えるね。

ブログ「いらけれ」

後藤さんの数少ない良いところは、話が分かるところですよね。謎に守備範囲が広くて、知らなくて良いことまで知っている。好奇心で生きている。タイムラインに住んでいる。ウマグマをご存じか。ピンク・フロイドのアルバムではない。走る様子がウマに似ているから名付けられたというクマ。ネーミング、適当ですね。
しかし、この能力とまでは言えない何か、知らず知らずの内にさまざま知識がインプットされているという性質は、伸ばし方も活かし方も分からないのだ。そんなの無いのかも。子どもの頃からそうで、でも、テストの点数が抜群に高かったりはしないわけです。得にならないし、金にならない。ただし、会話を盛り上げるのには役立って、宴会で重宝されたりはするわけです。それだけなので、友だちは少ないけど。悲しい。
とにかく、私は使われたいのですね。せっかくなので、ATMみたいに利用されたい。話を"お引き出し"て欲しい。その一つの表れとして哲学カフェがあり、俗に言う裏回しをしたりしているのだ。酔狂ですね(ちなみに、今度は裏ではなく表をやるという噂で、私の脳内の私たちが持ち切りだよ。恐ろしいよ)。

体験記とか、そういうのが受けるんでしょ?稼げるんでしょ?という読者を舐めた態度ですよ。ボートレースを趣味にしようとしているのも、GABAを摂取しようとしているのも。体験記は簡単なんですよ。書いてみれば分かるけど、あったことをそのまま書けば良いんだから。政治的に正しいことを伝えるのが小説なのだろうか、人間を描くのならば、当然のように居座る悪や、私たち自身も気が付いていない差別心を描かなければならないとして、最後には遠山の金さんが出てきて成敗しなければならないのか、すでにそうなりつつあると言え、悪の正体も掴めぬままに世界は、不完全な勧善懲悪に向かう……とか考えなくて良いんだから。それでGABAですよ。近所のスーパーとかドラッグストアを回って、それほど多様な商品展開が行われてないことを知りましたよ。迷いに迷って2時間ぐらい歩いて、結局コンビニで、どこでも売っていたグリコのチョコを買って、家に着く直前に小さなスーパーに寄ってみたら、コンビニより10円以上安い値段で売っていて、それが最大のストレスでしたよ。パッケージに「ストレスを低減する」って書いてあるのに!
食べてみましたけど、味は普通に美味しかったです。寝付きもいつも通りでした。以上、体験記でした。

ブログ「いらけれ」

砂煙をあげて消えたい。「こんなの誰が読むんじゃ」と思いながら書くのが辛い。「そういう0か1かみたいな~パソコンの使いすぎなのではないでしょうか」という文章は、コンピューターが二進数を使っていることにかけているわけだが、読む人が分かってくれてるのだろうか、と考えるのがストレス。そこで登場するのがGABA。すごい宣伝感、まるで青汁のCMだ。「しじみ習慣」のCMは箍が外れている。「しじみチャンス」って何だよと見るたびに思う。

ストレスに効くとかリラックスできるとか、そういった効果を信じているわけではない。むしろ疑っている。しかし、溺れる者は藁をもつかむ。そうやって騙されていく。騙されたい。偽薬効果を期待するというねじれ現象。部屋にゴミが増え続けている。朝になっても眠れない。綺麗な部屋でぐっすり眠りたい。どこかがおかしくなっている。お菓子食って太る。

金を使いたい。金を使うしかない。ストレス共々消費したい。グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』を買うために国分寺に行った。ネットで買ってもよかったが、早く手に入れたい理由があった。その理由はいずれ書くだろう。気長に待っていてほしい。とにかく国分寺に行ったがなかった。あれだけ棚があったのに。何を置いているのだろう。この辺りが折り返し地点だ。大きなコーンが置かれている。競歩の選手が来ては去っていく。

それで西国分寺まで行った。毎日毎日、アンケートに答えては数円を貯めているというのに。矛盾は分かっている。駅前のビルのエスカレーターを上がったところにあるBOOKS隆文堂にはあった。なんとなく良い品ぞろえだなと思った。本屋の好き嫌いってあるよね。僕が好きなのは、欲しいと思っていた本と、知らなかったけれど良さげで、欲しくなる本が並んでいる本屋。既知とも未知とも遭遇したい。

愚かしいのは生まれつきだから諦めている。こういう風に明日も語る。未読の本が積まれていく。気を抜けば、『男らしさの終焉』もその中の一つになってしまう。読む必要がある。がある。ガールではなく、かといってボーイでもなく、もう僕という一人称を使うのはやめる。「あそこん家のピザ食うのはもうやめる」。今死んだら困る。私によってあつらえられた図書館がある。時間が欲しい。時間があったら本当に読むのだろうか。急激に増えたアクセス数で、中邑真輔が「スッキリ」に出たことを知る。どこかに行ったGABAの話は明日する。あなたは明日も読んでくれる?

ブログ「いらけれ」

穴は脱出口にもなるけれど、当然、悪いものの通り道にもなる。フィクションの自由を最大限に許すとき、それは抑圧に対する被抑圧者の武器になると同時に、当然プロパガンダにも用いられてしまうだろう。対抗策はいくつもあって、しかし、そのすべてに問題点もあり、規制をすれば、あらゆるものが規制の対象になる可能性があるし、作り手の良心や受け手のリテラシーに期待するのは、どうしても限界がある。だから、すべてを掛け合わせながら上手に運用しなければならないのだけど、少し駄目なら全部駄目となりがちで、そういう0か1かみたいな思考に傾いてしまうのは、パソコンの使いすぎなのではないでしょうか。

棒がいっぽん届いた。楽天ブックスから高野文子『棒がいっぽん』が届いた。注文していたから。長嶋有『電化製品列伝』で取り上げられていて、いつか買おうとお気に入り登録していたのだが、千円以上でポイント○倍という楽天のキャンペーンとみみっちい私の掛け算で、千円に数十円届かない値段のこの本は後回しにされていた。しかし、このところのアンケート調査の重なり、管鮑の交わり、世界の終わりなどによる臨時収入が、ポイントが手に入り心にゆとりができたので、あと数日で失効となる期間限定ポイントを使い切ろう、キャンペーンとかどうでもいいや、と購入にいたったのである。届いたから開いたら目が離せなくなって、短編集の最初の一話「美しき町」を読み切ってしまう、やらなければならないことを差し置いて。すげえ。これに文章のみで、小説で対抗するのは不可能なのではないか。表現の極北。私が小説家だったら、廃業を考えたかもしれない。小説家でなくて良かったと心から思った。
そういうのとは別に、「美しき町」は87年初出ということで、普通に時代が感じられて面白かったですよ。今の時代に、こういうマンガが出てくる余地はあるのかなあと思ってしまったが、マンガに詳しくないことを忘れていた。危ないところだった。

あなたも勉強しませんか?僕に言われるまでもなく、すでにしていますか?『文化系トークラジオLife』の「2019年のオススメ本はこれだ!」を聞いて、イベント音声自体面白かったし、紹介されている本も面白そうだった。とくに『最小の結婚』が気になったので読みたいところ。「リベラルと制度の相性、実は悪いのでは?」というのは、かねてより抱いていた問題意識だったので。勉強の国に行き、勉強の国の人になる。うん。