ブログ「いらけれ」


ということで、『東村山で「バトルライン」をやる会』のフォームを作ってみた。「奇跡のうた」に書いた、鈴木謙介a.k.aチャーリーの「ホストになる人に重要な力量が一つあるとすれば、ただ、めげないこと」という言葉を胸に。人が集まっていないのを他人に見られるのが嫌だとか、どう思われるんだろうというのは自意識過剰で、僕のことなんて誰も気にしていないのだから、まず始めてしまえば、そして、集まるまで続けてしまえば良いのだと、分かっていても邪魔をする自意識を、出来る限り手放していきたい……というのならば、ツイッターにも流すんだよね?うーん、それは恥ずかしい。

今月の「小説的思考塾」に行って、それからずっと、書くことについて考えている僕は、とても粘着質だなあと思う。それ自体が情報、たとえば金を儲ける方法とかではまったくない文章(描写)は、言ってしまえば全然いらないのだが、しかし、全然いらないのが面白いのだという話が、こうやって書いている僕の背中を押している。あと、書くことによって自分が充実できるという実感が重要で、一生小説を書くような自分になろうと思っていた方が良いという言葉は、胸に刻んで帰ってきた。
文章には意味が必要だと思われているがそんなことはない、意味のために犠牲にしているものがある、音楽や絵や写真のように書く、身振りは意味ではないのに伝わる、読み手に伝えることが大切なのだから…。ただし、描写にとって大事なのは名詞や動詞の量であって、形容詞的なものではないということが繰り返し話されていたのだが、これについてはまだ理解が及んでいない。名詞や動詞の量として、風景を見るとはどういうことなのか、描写を書き続けるなかで、その真意を掴めたらいいなと思っている。

そうそう、東久留米で遊んでた時、目当てだったカフェに入れなかったんで昼飯をどうするかってなって、来た道を戻って、駅のところのパンケーキ屋(なのか?)に男二人で入った。アメリカを意識したお店らしくて、シンプソンズの絵とかバックトゥザフューチャーのポスターとかが飾ってあって、デカいクリームソーダはめちゃくちゃ甘くてビビったが、チーズのかかったフライドチキンの乗っかった甘くないパンケーキは美味しかったので良かった(机のメープルシロップをかけて、甘じょっぱくしたのも美味だった)。一人じゃ絶対入らないお店だったから、やっぱり自分の世界から出るためには、人といることが大切なんだなって思った(遠回しに、「バトルライン」をやる会への参加を促している)。