Don’t you know the new moon is rising?

青羊さんのつぶやき→メタモルフォーゼの縁側(どっかで見たなと思って)→鶴谷香央理さんのツイッターという感じで、気分良くインターネットをサーフしている時に見かけた、ブルボン小林さんの「愛とは言語である」というコラムを読む。
ボンコバさんは、いつも「誰も気付かなかったり、言葉にしないが、そこにある大事なこと」を掴んで、それを伝えるために、表現に対して労力を惜しまない。本当はもっと、万人受けするように「こいつが悪い」という分かりやすい物語にしたり、自分を良くみせるように「俺はこんなに分かってるんだぜ」という文章にすることが、いくらでもできるはずだ。でも、しない。戸惑うべき出来事に対してちゃんと戸惑うし、断言出来ないことは断言しない。断言するツイートのリツイート数の多いこと!要するに、そういうのは気持ちいのだ。だから、それを放棄して読ませるのは難しい。だから、手を尽くす。こういう文章を書けるようになりたい、おそらくなれない。


Elliott Smith – Needle In The Hay (from Elliott Smith)

透明雑誌「Eの幽霊」(「Ghost Of E」)のEとは、

I Miss You Son of Sam And The Figure of Eight

という歌詞からも分かる通り、エリオット・スミスのことだが、音楽が好きだとか洪申豪のファンだといっても、ちゃんと聞いたことがなかった。知っている、とても恥ずかしいことだというのは。昨日の朝「InterFM897 Music Mix」を聞いていたらいい曲が流れてきて、それで調べて、エリオット・スミスだということが分かり、洪申豪の曲に、その影響が確実にあるのだということを知った。僕は全然分かっていなかった。

それで、また色々調べていて、話題になった「K-POPより透明雑誌」ということを書いていた人が、その後どんなことを書いていたのかを知る。これは、アテンション・エコノミー下における炎上商法だろう(そういえば『ザ・スクエア 思いやりの聖域』という映画の予告を見たら、炎上商法が出てきたな)。僕は、自分が炎上商法をしないので、それをする人に厳しい。

アクセス数的には、TWICEについて書きたいのだが、僕の潔癖がそれを許さない。「CANDY POP」の時にやったような、情報をまとめるようなものは、やっぱり違うと思った。僕がしたいのは、それを読むことに快楽があるのは承知の上で、情報を集めるようなトリビアルなものではなく、コンセプトや歌詞を読み解いたり、些末な振る舞いや言動から、アイドルという存在自体を問い直したりすることだ。東浩紀氏曰く、批評とは以下のようなものだ。


読んだ後に世界が変わること、そうでなければ!だし、そういうことをモメンタムとしたい。もし、何か書くとするならば、MVに頻出する映画的モチーフについてか、「Na Dub Cheng」についてか、「Like OOH-AHH」「CHEER UP」「TT」の作詞家としてクレジットされてるSam Lewisについて(検索しても日本語の情報は皆無なので難しいけど)かな。依頼があれば考えます。

先生は、僕の月給を、ニ時間の講演会で稼ぐ。先生は、僕がひと月働いて貰うお給料を、二時間の講演会で懐にする。先生は、慎ましい暮らしについて話し始める。先生は、高級腕時計はしていないけれど、先生の愛犬は、高級なドッグフードを食べながら、今も先生の帰りを待っているはずだ。僕は、ニューヨークのデモについて、ある批評家が話していたことを思い出す。問題は1%対99%にはなく、99%の中に「労働者」と「奴隷」の階級対立があることなのだと。「私たち99%」と叫ぶが、「私たち」の内実は一つではないのだと。先週から働きづめで、充分に眠れていない僕は、気を失いそうになって、先生の声は遠くなり、部屋の空気は薄くなる。先生は、1%だろうか、それとも99%だろうか。僕は、「労働者」だろうか、それとも「奴隷」だろうか。講演会は始まったばかりで、先生の話はまだまだ続く。

「ネット文体のようなもの」を駆使する頭のいい人が、それによって苦しんでいるケースが多いように見受けられる。つまり(これは、あのラジオの、あの黒幕の発言だったと思うのだが、記憶があやふやなので断定はしないでおく)、「リア充爆発しろ」といっている限り、自分はリア充になれないじゃん、ということ。文体の持つ諧謔精神による解放の効果も小さくないとはいえ。


Vooid 「新月」 (Audio)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。