小説「ざ」_1

 数えてもなかったが、「やっぱり」ともう一度数え直したがなかった。十円玉が一枚か、五円玉が一枚あったから、あともう一枚。千円札で会計を済ますと、その時は気分が良かった。財布が少し厚くなった。

買ったのは、宛名書きに使っていたボールペンのインクが残っているのに出が悪くなってしまったから、それの代わりの少し径の大きいボールペンと、履歴書を入れるA4サイズの封筒。あと、部屋の芳香剤はレモンの香りのやつと、新しく買ったバックに差しておく三色ボールペンと、両面テープで、それは壁を傷つけずにポスターを貼るためのものだから、貼り直しができるようになっている。

 小さなスポンジの両面に両面テープが付いたものが、シートに沢山並んでくっついているそれを、シートから一つをはがして、接着していた面を、ポスターの裏側の角に付け、それを全ての角に付けたら、長方形の短い方のどちらかの一辺を選んで、両面テープの紙をはがすが、ずっと丸めて置いてあったから、癖がついていて難しく、なんとか水平を取るように一辺を壁に貼り付けたら、もう一辺の紙もはがして、完全に壁に接着させる。

 テープにはSとLのサイズがあって、前回はLを買っていて、それで貼った「#TWICE」初回限定盤のおまけのポスターは、三カ月はがれることはなくて、ついでにいえば、新しい「One More Time」のおまけのポスターを貼るために、少し場所を移して貼り直して一カ月はがれることはなく、だから、Lを買えばよかったんだけど、Sの方が入ってる個数が多かったから、そちらにしたら、何度もはがれてしまい、辺の真ん中にもテープを付けなくてはならなかったから、後悔することになった。

ポスターが貼られているのは、部屋のドアの横の壁で、それは、ドアから奥に向かって長細くなっている部屋の、ほとんど万年床といっていい布団の足側でもある。だから、起きるか、あるいは部屋から出るときには、B4サイズ計四枚の、左側二枚が「#TWICE」、右側二枚が「One More Time」のポスターを見ることになる。

 だから、今日出かけるときも、それを見てきたのだけど、まだ「One More Time」のポスターを貼ってない、なにしろそれを貼るための両面テープを買いに来たのだ、だから二枚のポスターが貼られているだけだった。

 百円均一の店での買いものはついでが多くなりがちで、芳香剤は、部屋の臭いを「男臭い」という不思議なオブラートに包まれているようでいない言葉で指摘されていたから、どちらにしても買うべきだったのでいいし、封筒は絶対に必要だったからついでではなかったのだが、宛名書き用のボールペンは、径の太いものでなければならないわけではないし、三色ボールペンだって、家の中を探せばきっと、何かのイベント、昔、大学の見学に行ったときにもらったりしたものがあるはずだった。

 大学の見学、オープンキャンパスというものに行ったのは、高校二、三年生の頃だから、もう十年以上前になるのか。成城大学とか、東京経済大学とか行ったなあ。結局、入学することになる拓殖大学には、入る前には行かなかったんだっけ。いや、一応個人的な見学というか、家から電車を乗り継いで大学の最寄り駅からキャンパスまでどう行くのか確かめるために、見に行ったときの帰りの電車で、しましまの服は着ていなかった楳図かずおを見た。凄く興奮して、数カ月前まで付き合っていた女の子にメールしたけど、返信はひと月以上経ってから来た。

 拓殖大学の八王子キャンパスの最寄り駅である高尾駅は、JR東日本と京王電鉄という二つの路線が乗り入れている少し古びた駅だ。一限の必修英語のために早起きして乗る中央線快速はとても混んでいて、到着したころにはくたびれていた。朝はいつもトイレに寄るのだが、トイレは着いたホームとは別のホームにしかなく、階段を上って跨線橋を渡らねばならず、しかし、そこから見える朝の山々はいつも美しかった。大学生や、そこに住む人達が使う南口と違って、北口は観光客向けになっていて、飲食店や土産屋が並んでいる。気の置けない友人のいなかった僕は、その日の講義が二限や三限で終わったときには、北口の方面から真っすぐの大きな道を一時間くらいかけて、スマートフォンにたくさんのポッドキャスト番組を入れて、西国分寺駅まで歩いた。

 僕に気の置けない友人が出来るのは、それから五年経ってからだった。その間に卒業して、就職したり、離職したりした。大学卒業後、僕はすぐには就職しなかった。いや、出来なかったのは、もちろん就職活動のようなものに馴染めるような人間ではなかったからだし、一方では、大学の「就職率」なるものに貢献することになることが癪に障ったからで、それは、大げさに言うならば、未来に入学する十八歳に対する責任感だった。卒業後一年間は、TSUTAYAでアルバイトをしていた。その後、正社員として入社した運送会社を一カ月でやめて、また一年ほど、今度はニートをしていて、次は出版社に勤めて、それも半年で辞めて、またニートをしていた。

 運送会社を辞めたころ、つまり二年ほど前になるが、僕はブログを書くようになった。入社前に聞いていた話と、実際があまりに違っていて、その怒りが原動力だった。文章を書くことを仕事にしようと思った。それは、肉体労働ではないことをするべきだと考えたからだし、休みがなくて残業ばかりでも、給料が安くても、自分のしたいことを職業にすれば我慢できる気がしたからだった。ブログは、その練習というか、ライターになるための第一歩のつもりだった。編集者だった時期もあって、その間は更新しなかったけれど、それ以外のニートの期間は、毎日のように何か書いていたし、今も書いている。それは例えば、未来の自分が、高校時代や大学時代のこと、卒業後の今のことを思い返しているような文章だった。

 僕はTwitterもやっていて、毎日あることないことつぶやいていたのだが、そのTwitterに、いつものようにブログを更新したというツイートをしたところ「ブログ読みました」から始まるDMが届いた。二月の、雪は降っていないけれど、とても寒い日のことだ。

 「あることないこと」とは、用心深く人から嫌われない態度で書かれたことだ。周到に、決定的な政治の話題は避けていた。そして、書かなかったことがたくさんあった。例えば、虫歯を見てみぬふりしていた左の奥歯が、骨があるとしらず焼き鮭を噛んで、頭の中に痛みが響くとともに欠けたこと。

 そんな風にして僕が書かなかったことは、世界中から顧みられることのない事実として、確かにあった。

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