これといった手応えがないまま7月が終わる。
みんなが記号に反応している。記号記号、みんな記号だけあれば満足なんでしょう?そんなに記号が好きなら、死ぬまで記号をいじればいいんじゃない?
玄関を出たら、部屋よりも涼しかった。心地のよい風が吹いていた。最近は、墓地を抜けるルートを歩かなくなった。心境に変化があったわけではないけれど、少し飽きが来ていたのはたしかだった。水を抜いた足の指のタコが痛い。散歩も人生も、すっかり目的地を見失っている。生まれてしまったことを後悔している。
歩きながら考えていたのは、「今日の夕飯に、なにを食べたいか」だった。カレーがいいね、という話ではないのだが、たとえばカレーを食べたいと思ったとして、そう思えるのはカレーを食べたことがあるからで、カレーを食べたことのない人が言う「カレーが食べたい」は、食べたことのないカレーにチャレンジしてみたいという意味に留まる。ようするに僕は、食べたことのないトムヤムクンを思って涎を出したり、トムヤムクンの口になったりはしないということで、これらはつまり、人間の欲望について考察していたということなのかもしれない。
「世界」や「人間」と同じぐらい、僕の文章に頻出する語に「本当」がある。本当に、それが本当の僕だというのは本当?なんつって。本当ではない偽物の言葉ばかり使っているから、褒めたい称えたいときに「これは本当です」と言ってしまうのは、本当は良くないことで、本当と付けないときは本当ではないとバレてしまっているから、本当に嫌われているのだろうな。
楽天市場から届いていたLAMケーブルは、出かけにポストから取って、鞄に入れて、世界と人間を観察して帰ってきた僕が、いの一番にそれを鞄から取り出して、リビングから部屋に線を引く作業を始めたから、僕は本当に驚いた。変えようとしていないのに変わってしまう、無意識に好転する。僕の人生にとっては、それが一番良いことなのでしょう。両手を合わせて「ありがとうございます」と言った、僕だけがそれを聞いていた。