ブログ「いらけれ」

頭が重たい。後ろの壁に頭を打ち付けたくてたまらない。この最悪の気分が病でないとしたら、むしろ嫌になるぐらいの深い憂鬱だ。効き目のないアメルの味。意識に原因している病は、この世界に生きているかぎり治る見込みがない。劣った存在に宿る汚れた意識の、その歪な形を変えたとしても、また別の歪な意識を持つ私が生まれるだけであり、私が消えるまで私の痛みは消えないことを私は知っている。

深海のような夜だった。トラックが幹線道路を走り抜けたにもかかわらず、辺りは真っ暗だった。終わらない会話の間に攻撃されたのは、私の意識だった。すっかり疲れ切った私が横になり、夢のなかでも真夜中にいた。物音を立てないように玄関を開け、アパートの壁に寄りかかった。鼓動は規則性を失い、呼吸は満足にできず、冷や汗は止まらなかった。しかし、苦しくはなかった。苦しみの向こうに、死への欲望があった。

意識をつなぎとめたのは、どこかの家の赤ん坊の泣き声だった。とても長い時間それは聞こえていたが、私は自分自身のことで手一杯だった。前の窓のカーテンが開き、心配そうな顔が現れ、すぐに消えた。悪魔から解放された私は、自室に戻った。それからほどなくして声が聞こえなくなったのは、私が眠ってしまったからなのだろうか。それから数週間、あの泣き声を聞いていない。苦しみは、この世界に遍在している。

私のパニック障害は意識の病なのだと、その夜に教えられた。意識に暴力を振るわれている間、私は、この私とは違う遺伝子を持った私が生まれていたら、社会的に認められるような私だったかもしれない、その私の方が幸福だったろうし、親も喜んだに違いないと、そう考えてしまった。これこそが私の病根であり、私の地獄であり、それらに規定されている私の実体だ。

私は、この世の地獄をまだ知らぬ者の幸せに、水を差すつもりはない。ただし、ここにあるすべては、巨大な苦しみを共にする友人たちに向けて書かれている。同じ地獄にいる私たちの独りは、複数である。