TWICE「Candy Pop」に寄せて~考える編
TWICE JAPAN 2nd SINGLE「Candy Pop」が1月12日に公開された。これについて少しばかり文章を書いてみたい。
私は、このSPOT動画
が発表された時(当時は「Candy Pop」というタイトルどころか、これが新曲のMVに繋がるものであるということも分からなかった)、アニメーションになっていることにまず驚いた。そして、ジャケットや曲の詳細が徐々に発表されていくにつれて、そのコンセプトへの興味は高まっていった。
当時(2017年12月22日)私「後藤@rung7864 」のしたツイートは以下のとおりである
TWICEの日本でのコンセプト、謎っちゅうか、分かりやすすぎるっちゅうか。ちゅうか、スポット見る限りむしろ女児向けって感じだったがそこらへんどうなるんかな
ちなみに、もなにもないけど、「女児向け」はアリだと思う。「女の子が憧れる存在としてのTWICE」という売り出し方で、かつ、そのターゲットをティーンより下に向けるという。アリだと思う理由は、今のコンセプトより断然面白いから。
「熱量と文字数」というポッドキャストのアイドル特集の回で「アイドル=ヒーロー」という話をしてたけど、今の女児向けアニメがアイドルをモチーフにしてるのは、少女たちにとって正しくアイドルこそが、少年たちにとってのヒーローのように映るからなんだろうし。
その市場に三次元の側からアプローチした例はまだ殆どないわけだけど、だからこそTWICEには狙ってほしいなー、なんならちゃんとアニメ作ってほしいなー、という。自分の好き嫌いより、批評的な興味関心として。
私は、TWICEの日本での活動にはずっと疑問や不満があって、CDのことでこんなツイートをしたり、日本デビュー曲「One More Time」にハマれなかったりした。だから、ジャケット写真を見ても、またカワイイ路線で行くのかーとしか思わなかったのだけれど、しかし、このアニメの絵柄と雰囲気に期待し、このようなツイートをしたのだ。
誰も褒めてはくれないから自画自賛をするが、この一連のツイートは、いい線をいっていたのではないか?MVに女の子が出てくることや、監督が「ラブライブ!」や「プリティーリズム」シリーズで有名な京極尚彦監督ということからしても。
このMVは、間違いなく日本のアイドルアニメの流れの上にあるものであり、それは、「アイカツ! 」シリーズや「プリパラ」シリーズといった女児向けアイドルアニメ(と定義して問題ないだろう)たちも含んでいる。そして、おそらくMVが目指しているものは、女児向けアイドルアニメたちが目指しているものと軌を一にするものである。
上記ツイートでも引き合いに出した「熱量と文字数」というポッドキャスト番組の【アイドルについて】という回において、オタクで芸人のあしとみしんご、
サンキュータツオ両氏と、アニメ―ション監督の長濵博史氏によって出された結論が「アイドル=ヒーロー」であった。それはもちろん、現状の女児向けアニメのモチーフがアイドルであることを見ても、そうであるといえるし、のみならず、MVを見てもそうだといえる。なぜなら、そこにおいてTWICEは、二次元から三次元へ"変身"(!)し、女の子を励ましにくるヒーローとして描かれるからである。
私が"個人的"に日本での活動に持っていたローカライズやコンセプトに対する違和感は、ここにはなかった。私は、「僕とTWICE」という記事に書いた通り、彼女たちの尋常ならざる"魅力"に魅かれていたのであり、それは、普通の人から線を引かれた特別な人として存在を見ていたことを意味し、ゆえに、正しく誰かのヒーローとして表象されるべきものだったからである。
このMVが話題になるかどうかや、あるいはもっと俗な言い方をするならば、売れるかは分からない。真似しやすさや楽曲という面から見ても「TT」のようなヒットは難しいかもしれない。それに、もちろん私は女児ではない。だから、対象とされていないという寂しさがない訳ではない。
しかし、こうした試みは大いに歓迎したいし、応援したい。なぜなら、こうした新しい地平を切り拓くようなチャレンジこそ、彼女たちを別の角度から照らす光となるからだし、それこそが、彼女たちにとっての新たな"魅力"の源泉となるからである。
出来ることならば。このMVがきっかけとなり、TWICEを原作としたアニメーションが作られ、日本中(世界中)の女児たちのヒーローとなりますように。そんな未来は楽しいだろうなーと思うのです(それな!)。
2018/01/12 18:00追記
それな!
退屈な Everyday
だけど
突然君の声
止まってた世界が動き出した
通常、曲の中で「君」と歌われるとき、それは誰を指すものだろうか。あるいは誰を指しているとして、聞き手は受け取るだろうか。
おそらく多くの場合において、曲中で歌われる「君」は、抽象的なものであり、聞き手の私たちは、歌い手に感情移入し、その抽象的な「君」に、具体的な現実の「あの人」を代入するなどして受け取っている。
あるいは、アイドルの場合に顕著な受け取り方だと思うが、そこで歌われる「君」という言葉のポジションに自分を置き、「君が好き」や「君を愛している」などと、自分の愛する者から言われている気分になって受け取るというパターンもあるだろう。
しかし、ことこの曲においては事情が違っている。この「Candy Pop」で歌われている「君」は、歌っているその人自身、つまりTWICEのことを指しているように感じられるのだ。曲中に出てくる表現、「君の声で退屈な世界が動きだした」や「毎日見てても充分ではなく、飽きない」などは、私たちファンが、彼女たちに感じていることとイコールである。
つまりここには、歌われている「君」=歌っているその人、という不思議な表現が成り立っていて、これは、おそらくまだ名前は付けられていないが、確実に特別な効果を上げる表現の一形態だ。この不思議な表現には、まさに不思議なパワーがあり、この意味のイコールの中で反響(エコー)しあう歌の中で、私たちの彼女たちに対する気持ち、好きだという気持ちが強化されていくように感じるのだ。
しかし、この「曲中で歌われる対象がその人自身であるという表現」が、特別新しいものかと言えば、そうではないだろうし、今までのアイドルポップスの中でも、間違いなく使われてきた手法だろう。
だが、この「Candy Pop」について、私には、その手法が"しっくりくる"ように感じられるのだ。なぜか?
以前、「菊地成孔の粋な夜電波」というラジオ番組内での韓流特集の際、菊地成孔氏は、以下のように発言している。要約するならば、「(BTSの曲を聞いた後)もの凄い良い曲で引っ張るんだ、というのではなく、MVを含めた全体のプロダクトのバランスを考えている(いい意味でMVを見ないと良さが100%%伝わらない音楽になってきた)」と。
「Candy Pop」においても、この話が当てはまるのならば、私たちが曲だけを聞く場合でも、MVのイメージも含めて、受け取っているといえるのではないか。そしてMVは、上記の通り、女の子のヒーローとしてTWICEが表象されている訳で、女の子たちにとっての「君」=TWICEとして、女の子を媒介にして理解し、恋愛と結びつきがちな「君」への呼びかけを超えた、ヒーローへの呼びかけとして、受容することが可能になっているからではないだろうか。
説明してきたように、この曲の中に11度登場する「君」という言葉は、ある特別な効果を上げているように思えるし、その中でまた、聞き手の好きという感情が増幅されているように感じる。そして、何よりも私が、TWICEをより好きになる契機となった。この歌詞を作った方に最大級の賛辞を(それな!)。
ねえ君のいない日々は
もう考えられない
だって君のこと思えば
毎日がワクワク
元気が出る
笑顔になる
『大好きだよ』
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