ブログ「いらけれ」

TBSラジオ東京ポッド許可局にて「『海街diary』論」が話されていました。

論の、継承の問題は私も観ている時に思ったんですが、ブログに書けませんでした。そこまでたどり着けなかったです。
「人間=動物」という視点があれば、書けたかもしれないです。

興味深いです。ぜひ聴いてみてください。

リンク:東京ポッド許可局

ブログ「いらけれ」

もう十年近くラジオをきいてきた。でも、番組に投稿ってしたことがない。
きき始めたときから、すでにメールで気軽に投稿できたわけで。手間とかそういうことじゃない。
ただタイミングがなかった、きっかけがつかめなかったということなのかなぁ。

常連投稿者みたいな人にはいつも憧れる。面白いし。

ということで、今週からラジオに投稿してみようかなと思います。
そういうのの報告とか、ひとつのネタになるし。

いつか採用報告できたらいいなぁ。

ブログ「いらけれ」

叩いてもいいと一度でも認定された人がずっと叩かれ続けるという風潮があるように思う。
それはバルネラビリティとか、そういうのもあるんだろう。でもキャラ化の問題でもありそうだ。
……そんなこと考えてたんですが、何とも知識不足で。ちょっと勉強しないとなと思います。

「キャラクター」で思い出すのはこれ。

さすがに関係ないですか。読みたいけど。

少しばかり検索して出たのは、




このあたり。どれも面白そうですなぁ。

いろいろ読んで考えていきたい問題です。じつは切迫していると思う。なにか少しでもヒントになるものを探していきたいです。

ブログ「いらけれ」

愛が、全ての人達へ…。
あぁ、全てが人並みに…。あぁ、全てが幸せに…。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。

中村一義/「永遠なるもの」
j-lyric.net/artist/a002631/l008021.html

※これは『海街diary』から考えたことですが、映画本編とはほとんど関係ありません。

繁栄した国の権力者は皆、それが永遠に続くことを願った。願うのはそれが、永遠には続かない、それどころか、いつ終わるかわからないものだからだ。

ユートピアのようなものがあったとして、そこで生きるのはきっと退屈だ。不幸せになれないという不幸。

日常とは実は不安定なものだ。子供は成長してしまうし、大人は老いてしまう。そしてどこかで必ず死んでしまう。時代に左右されもする。

ちょっかいを出すような幸せ、ありきたりな幸福を見るのは少し切ない。それは、終わることが約束されている。それは、日々の辛さの上にある。
人生には、破断や、あるいは真綿で首を締めるような苦しみがある。しかし、だからこそ、幸せがある。いつか終わってしまうけれど。

それは、もうどうしようもなくそういうものだ。良いも悪いもなくそういうもの。
だから、受け入れるようにして生きていくのだ。いつも、幸せを願いながら。ときどき、幸せを感じながら。