「ふたりらくご」4日目 6/15(月) 18:00-19:00 隅田川馬石-締め込み 入船亭扇辰-ねずみ 来場者 62名でした。 #シブラク
— 渋谷らくご (@shiburaku) 2015, 6月 15
「渋谷らくご」4日目 6/15(月) 20:00-22:00 柳亭小痴楽-風呂敷 柳家喜多八-粗忽の釘 玉川奈々福/沢村豊子 -浪花節更紗(原作 正岡容) 春風亭一之輔-唐茄子屋政談 大入りでした。 #シブラク
— 渋谷らくご (@shiburaku) 2015, 6月 15
昨日も行ってまいりました「渋谷らくご」。すごいものをみた感がすごい(バカ語)、素晴らしい会でした。
ここからは感想ではなく、考えたことを。
「落語に行く/行った」と言うと、言われた側がだいたい半笑いになる。「へえ~w」みたいな。これは、ぼくが「ヒップホップを聞く」と言ったときの反応とほとんど同じだ。なんだろう。
きっと、「あの落語」や「あのヒップホップ」を思い浮かべるからだろう。笑点的な、あるいは悪そうな奴はだいたい友達的な。それらは、ジャンルを代表しているのは間違いなく、偉大だ。しかし、それがゆえに馬鹿にしてしまいたくなるようなイメージを作っている。そして、先入観を作り、そのジャンルについて知ることを結果的に阻んでいる。
でも自分だって、きっとそうなのだ。半笑いなのだ。何かについて。何かのジャンルについて。
”それだけ”じゃないということを、その内実の多様さを、伝えるのも知るのも難しい(だから「渋谷らくご」は試行錯誤しているのだろう)。
このブログは、そのためにやっているところがある。これは予告であり、目標である。