アイドルも人間だし商売だし

コラム「後藤の超批評」,TWICE

話は、僕がYouTubeで動画を見たところから始まる(「お前いつもYouTube見てんな」という指摘は受け付けません)。つまり、モモりん(TWICEというアイドルグループのー…ってさんざん書いてるので、もういいですか。そうですか。)が、一週間で7キロやせろと事務所に言われたというエピソードを話していた(「V LIVE」の放送が、日本語字幕を付けられて転載されていた)のを見てしまったのだ。

ここ(「TWICEの世界進出について、他。」忙しすぎて泣いたとか、番組中に寝たとか)で語ったように、また、このツイートのように(これは、「菊地成孔の粋な夜電波」というラジオ番組の、韓流特集を聞いた感想だ)、


あるいは、この記事のように、

韓国芸能界は、それが韓国芸能界特有かどうかは分からないし、今現在どうかは分からないけれど、とにかく、中で働く人々の仕事環境が、著しく厳しいことは間違いないようだった。

それは知っていて、それでもずっとファンだった。でも今回、唾液まで出したとか、氷一つだけで過ごしたとか、寝るともう起きられない気がして涙が出てきたとか、そういう話を聞いて、考えこんでしまった。

ブラック企業(その定義は難しいが)に対して、その企業のサービスを使わないようにしよう、という考え方がある。その行為の妥当性についてはここでは問わない(このブログ記事「「ブラック企業の消費者も加害者である」という言説の正しさと限界」は参考になる)が、その考え方も一理ある、と思われる方も多いのではないだろうか。

では、上記のような著しく厳しい環境に置かれたアイドルに対して、私たちはどういう態度を取るべきなのだろうか?

彼/彼女たちが、あのようなエピソードを開陳するとき、別に同情してほしいとも思っていないだろうし、かわいそうだと思ってほしいわけでもないだろう。それは、アスリートの話す努力物語の一つのような、苦労話のようなものとして語られているのだろう。

考えてみれば確かに、資本主義の下では「尋常ならざるもの」こそが価値に変わるのであって、素晴らしい美貌の維持や、あるいは、普通の人には出来ない体型維持は、150キロのストレートと同じようなものかもしれない(アイドルとアスリートは、その尋常じゃなさにおいて、共通する部分がある)。もちろん、人間が150キロのストレートを投げられるようになるためには、おそらく多くの場合、長時間かつ長期間の、ある種ブラックなトレーニングをしなければならないはずだ。

しかし、「ブラック部活動」という言葉が取りざたされているように、当人がいくら「野球選手(または、アイドル)になりたい」といった”夢”を持っているからといって、どんなトレーニング(あるいは、努力)を強制してもいいということにはならない(むしろ、止めるべきだ)し、「野球選手(または、アイドル)である」からといって、どんな仕事(そして、その準備)を強制してもいいということにはならない(むしろ、止めるべきだ)。

当然の結論は、彼/彼女の意志(美しくありたいとか、アイドルとして活躍したいとか)は尊重した上で、事務所等の過ぎた行いを適切に批判する、というものになるだろうけれど……人間、そんなに簡単に問題を切り分けられるものだろうか?色々なことが「やらせた」と「やりたくてやった」の間にあるだろう、おそらく彼/彼女たちにとっては。

私はもう大人だから、「モモりん、そんな大変なダイエットをしてたんだ……すごい!もっと好きになった!応援する!」なんて無邪気には言えない。ファン活動をすることが、マネージする人々の過ぎた行いを助長する可能性にも思いを巡らせてしまう。とはいえ、これで応援をやめられて困るのは本人だということも知っている。

明確な結論などないけれど、とにかく、各々が手放すのではなく、考え続けなければならないし、その考えを発信していくべきだ。世界を少しずつ良くするために。