ブログ「いらけれ」

このノートパソコンの、キーボードの手前の、今、手首のすぐ上のところが触れている場所に、画面を下にしたスマートフォンを置くと、水拭きした後のテーブルに、お味噌汁の入ったお椀を置いたときのように、独りでに、画面の方へと動き出すことが分かった。

『ラブという薬』を少しだけ読む。当たりっぽくて嬉しい。もちろん、僕の興味関心に近い話題が語られているという点が大きいわけだが、借りるときは、そこまで内容をチェックしていなかったから、あまりにぴったり来ていて驚いた。あと、星野概念さんって名前しか知らなかったけど、面白い人なんだなあと思った。

いとう (前略)117を119と間違えるのは、フロイトの『精神分析入門』で言うところの「錯誤行為」だよね。言い間違いや読み間違いは単なる不注意じゃなくて、何か意味があるんだっていう。(後略)

いとうせいこう、星野概念『ラブという薬』株式会社リトル・モア、2018年、p.15

この部分なんて、「クリニック」で書いた疑問の答えじゃんって思ったというか、やっぱりフロイト先生が言ってたかあって思ったというか。こうやって日記に使えるところを探したいっていう狡い気持ちをそこまで否定せず、楽しい気持ちで読んでいきたい。

まとまらないままに、つらつらと考え事を続けている。それはまだ、どのようにも書くことのできない思考だ。それは午前2時に、ああ、あれは「開かれた場のジレンマ」問題だったのか、と閃くところから始まって、目指すべきはソクラテスだとか、弱者男性のこと、ヴァルネラビリティについて、傷付かないことが非倫理的となる局面、犬が死ぬ映画を避けること……といったように、頭の中で言葉がつながって、世界が広がったり、視野が狭まったりした。あと少しで形になりそうだから、いずれ、この日記にも書くことになるだろう。
それはそれとして、僕は、これらの議題をどうしても話したいと思った、それは、どうしても話したいと思う相手がいるということでもあって……僕は、何と幸運なのだろう、と思った。
心から尊敬できる人と会話している時間は、恐ろしいほどぎゅっとしていて、ぎゅっと身が引き締まる思いもあるし、心がぎゅっと熱くなるような瞬間もある。もし、これを読んでいるあなたが、そういう感覚を味わったことがないとしたら、それはとてももったいないことだと思うし……何か溜まっていること、誰にも言えないことがあるなら、『ラブという薬』では、精神科医に話してみるのも一つの手だと書かれていたけど……先生相手に、ぎゅっとするあの感覚を得られるのかどうか分からないが、とにかく、いろんな道を探ってみてほしい。動くことによって、開けるときも来るだろうし、もし、あなたが僕を信頼しているなら、誘ってくれてもいいし……

ブログ「いらけれ」

ユーチューブの「最近アップロードされた動画」のサムネイルを見て、ヤベェ時代なんだなあと思いがち。

正直、毎日日記を書いているというだけでも、相当気持ち悪いだろうに、内容が内容だから、軽蔑されても仕方がないと思う。腕にアドレスを彫れるほど、誇れるようなものだったらまだしも、ある種の人には、見られたくないとすら思っている。明日になることが、新たな恥を生むこととイコールになっている。冷静になったところで、やはり絶望している。


ぷらすと20 #2 「添野知生に聞きたい10の質問」

これ、今度見ようと思ったまま忘れていて、昨日やっと見た。多分、おすすめかなんかで出て、あ、忘れてたと思った。見ながら、良い動画だあと震えた。語られる証言の瑞々しい感じ!自分だけが気付いた"『ジョーズ』の真実"をノートに書きなぐり、一人でニヤニヤ読み直したというエピソード!
やっぱり、映画やSFについての話があれだけ面白い人は、幼少期から、その道のエリートなんだなあと思った。自分が、何のエリートでもないのは、とても悲しいことだけど、運良く、面白いものを面白いと思える才能には恵まれたので、その方面で頑張っていこうと思う。

いつから蝉の鳴き声を聞かなくなったのか、謎。毎年の夏が終わる頃には、そのことを気にしていようと思っているのに、毎年のように忘れてしまう。心地良い風で、遠くのビルの、外壁工事の覆いが揺れる。その工事が、ここから見えているのは、すでに終わった解体工事のおかげで、視界を邪魔する建物がなくなったからだ。この更地に、何かが新しく建ったら、あの覆いはここから見えなくなるが、その頃には、あの工事も終わっていることだろう。
坂を上ると、アーチが見えた。夕方の公園で、祭りをやっていた。入り口に作られたカラフルな半円の向こうの、ステージで踊る人が一生懸命に見えたから、僕は当然のように落ち込んだ。その後にしたのが、図書館のパソコンで、ジジェクの著作が市内に所蔵されているか調べることだったから、余計に。どうしてそんなことをしたのかといえば、ある時突然に(次はジジェクかな)と閃いてしまったからだ。それは脳神経かシナプスか、脳細胞か何かのせいなのではなかろうか。僕のせいではない。
本はあったけど、今借りている本を返していないから当然、借りずに帰った。出入口には、11月の「東村山土曜寄席」の告知ポスターが貼ってあって、三遊亭遊雀師匠が顔付けされていたから、万難を排して行かねばならないと思った。帰り道では、毎週映画館に行くことにしようかなあ、などと考えた。このように考えている内は楽しいが、本当にやるとなると、途端に面倒に思えるのだろう。とりあえず、明日は渋谷らくごに行くつもりでチケットを取った。恥ずかしながら、明日も日記は続けるつもりだ。

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僕にとって文章を書くことは、とても簡単なことなのだから、書けばいいのに書かない。

「あの日曜日のこと」で、「90年代~00年代に、お笑いファンだった人には、ぜひ聞いてほしい話だ」と書いた羽光さんの一席が配信されてますよー!
自分が感動したものを、こうして共有できることが嬉しい。あと、

【UCL決勝ラウンド直前|特別無料配信!】UCL準々決勝セカンドレグ シャルケ×インテル 2010-11シーズン|UEFAチャンピオンズリーグ Rewind ~名勝負プレイバック~

これも、めっちゃ面白く見てしまった……と書くのは、例えば、3月14日の日記「見えすぎる世界」にもあるように、当事者の告白を、在りし日の裏話を、過剰にありがたがる心性に対して僕は、常に警戒しているからだけど、面白いと思ったものを、面白いと書かないという(あなたへの)裏切りはできないから、やっぱり、証言が溢れる時代で、疑いを差し挟むだけの注意深さと、意識の手綱だけは手放さないでくれと言いつつ、知る限りの優れた娯楽を手渡していくよ。

また少し、立場が変わっていく。それまでは、気楽な立ち位置から発信できていたことが、できなくなる。気にし過ぎてやろうという意気込みで、想像上の他者へ向けて、言葉を選んでいく。自制心から、言わないことが増えていく。間違ってしまったことは消せないとしても、それならば一層、正しくあろうと心掛けていく。そういうまともさを、自分に期待する。

養ってくれた親からの期待も、仲良くなった友だちからの期待も、気にかけてくれた先生からの期待も、信頼を寄せてくれた上司からの期待も、あの子からの期待も、結果的にはすべて裏切ってきたから、自己評価が最低なんだって気が付いた今、涙が止まらない。期待するのは自由だから、できないことを期待されて、駄目さに失望されるみたいなことを繰り返す人生だったなと、そのように総括してしまう。勝手な期待と失望の評価に、心を下へと引っ張られてしまっている。

できないことが多いのは昔からだから、この先急に、ある日突然に、デキる人間になるなんてあり得ない。僕が僕について知っていることは、正しさと愛について裏がないということだけで、裏がないことを知っているのは、ずっと僕と一緒にいる僕だけだ。それしかできないという諦めのなかで、ありあまる誠実さだけを携えて僕は、すべての出来事に立ち向かっていった。と、書いた僕に僕が影響されるから、予言は成就する。

とても単純なことでさえ、うまく伝えられない人間のそばに、誰かが居てくれるということが、奇跡ではないとしたら、何が奇跡だろう。奇跡が起きた後の世界を生きている。それを見つけることと、受け取ることさえできれば。

ブログ「いらけれ」

僕は寝て起きた。まだ昨日の日記を書いていなかったのに、auで配信されていた「Dead Ahead」というタイトルの、アプリというかブラウザゲームをやっていたのだが、途中、難易度が急激に上がって、(これ、どうやってクリアするんだろう……)と検索してみたところ、僕がそれまでやっていたものとほとんど同じだけど、ちょっと機能や要素が多いアプリゲームのプレイ動画(ゲームタイトルは同一)が出てきて、おそらくというか当然だが、そちらが本家なのは間違いのないことで、僕がやってたのは、それの簡易版ということなのだろうが……どれだけ探してもブラウザ版「Dead Ahead」の情報は皆無で、これ、ライセンスとかクリアになってるヤツなのかなあ、まさか「パクリゲー」が公式配信されていたなんてことはないよね……などと思っていた午前3時から、1時間だけうたた寝をして、起きてからはずっと、何を書こうか悩んでいた。

ということになっているが、実際、その時間の大半は、サンドウィッチマンのコントをユーチューブで見たり、東京03のコントをユーチューブで見たりしていた。結局、書き始められたのは9時ぐらいで、書き上がったのは11時だった。それから身支度をして出かけた。

伏線は「本当だよ」にあって、午後1時の綿半スーパーセンター東村山店では、本当に将棋を指していたから、勇気を出して声をかけ、そこに混ぜてもらった。5、6人のおじさんたちのなかで、後輩として可愛がってもらいながら、将棋の方では、苦戦しつつも運良く何局か勝つことができて、とても楽しい時間を過ごした。後輩という立場を全うする自分は生き生きとしていて、先輩よりも断然、性に合っているんだろうなと思った。年の離れた兄弟がいるからだろうか。
将棋クラブの名簿に名を連ね、会員証ももらってきた。基本的には、毎月第二土曜日に集まっているという。今日来ていなかった会員(10人近くいるらしい!)のなかには、さらに強い人がいるという噂で、「ドラゴンボール」みたいだなと思った。来月にはトーナメント方式の大会も行うとのことで、そこで優勝すれば、綿半グループが主催する将棋大会(会場は山梨!)に、代表者として出場できるという。
急にすごい話になってビビるが、久しぶりに詰将棋でも解いてやろうか、という気持ち。あと、久米川に他にも将棋クラブがあるらしく、そちらにもお誘いいただいたので、今度参加してみよう。(東村山周辺にお住みの方は、まず、綿半の将棋クラブに参加してみては?サービスカウンターで声をかけると、会員になる手続きができるようですよ。そして、上記のようなイベントの連絡がもらえたり、将棋盤を貸し出してもらえたりもするようですよ)

日の暮れかかった帰り道、1時間しか寝ていなかったのでフラフラになりながら僕は、ああ、人生を味わっているなあと思った。明日もまた、出かけなければ。