ブログ「いらけれ」

何も書きたくないときは、手元にあることから始めよう。今日は、昨日の夜から続く咳で、よく眠れないという感じで起きた。喘息なのかもしれないな。それなのに、イレギュラーな仕事によって、方々に出かけていって疲れた。「疲れた」と文字にして、自分が疲れていることを知った今だ。疲れを癒すために、ユーチューブで音楽をかけ始めたら、なぜ人間は、懐かしい音楽を探してしまうのだろう。新しい出会いを探すより、忘れていたような記憶を辿る方が、インスタントに気持ち良くなれる。だから、好きだった曲を探している最中にふと思い出した、お役所を舞台にしたコントみたいなPVの曲を歌っていたバンドって、名前なんだったけなあ、ヒント少ねえなあ、UNDER THE COUNTER……は違うか、サクラメリーメン……って好きな曲あったなあ、チャコールフィルター……は、ぜんぜん違うけどなっつかしいなあとかやりながら、こういう文化的な人間が、当たり前のように見ていた『熱血!スペシャ中学』は、関係ないけれど懐かしいから、番組に出演していたBEAN BAGを聞いたりして、それでWikipediaを読んだら、『ポップジャム』(も懐かしい!土下座させられたと噂の!)の「ブレイクレーダー」という勝ち抜きバトルコーナーでめちゃくちゃ勝ち抜いたという話があって、今度はそちらのリンクに飛んで詳細を読んでいたら、そのコーナーのスペシャル企画があって、その第一回のグランプリがスムルース……スムルースだ!(ちなみに、PVの曲は『LIFE イズ 人生』だ)ってなったこのありふれた奇跡の瞬間に、安いミラクルに、僕はメロメロになって、それで、そのことをこうして書いた。僕が気付いたのは、まず第一に、僕が素晴らしい音楽に囲まれてきたことだとして、次に、そうした素晴らしい音楽を世に生み出してきた音楽家たちが、有名になることも、ビッグマネーを稼ぐこともないままに、廃業していっているという事実だ。僕は今、この文章の上で、さっき気付いたみたいに書いたが、こんなこと、ずっと前から知っていた。みんな辞めてった。そりゃそうだ、供給過多だもの。言葉に出すまでもなく知っていたのに、僕はなぜ、物書きになりたいと思ったのだろう。なれるわけないじゃん。そりゃそうだ。文章なんて、もうどうでもいい。それで、点いていたテレビを見たら、囲碁・将棋チャンネルのCMで、『棋力向上委員会 The PASSION!!』だ……え、麻雀の金子正輝プロ(ネコさん!ティッシュ!)出るんだーってビックリした。あの、明日も明後日も、ずっとこんな感じです。

ブログ「いらけれ」

「新しいメガネにしたんだよ」と言って彼は、耳と鼻で支えられていたそれを、うやうやしく私の前に差し出した。「え」フレームの色が、それまで使っていたものと変わない黒だったので、私は気付かなかったようだ。いわれてみれば、確かに全体的に線が細くなっているし、レンズも小さくなっているような気がする。それと、顔に張り付いているときには分からなかったけれど、耳からレンズまでのフレームの内側が、鮮やかな紫色になっている。先月からライターの仕事を始めた彼は、さっそくメガネを買い変えた。そして、見えないところに派手な色を選んだ。「うん、なかなか、いいんじゃない?」思ってもいない言葉を口にしたことを、私は即座に後悔する。テーブルの上のコーヒーは、コップに大粒の汗をかいていて、氷が溶けて薄くなっていた。なにやってんだよ。

—今では、多くの人がスマートフォンを使うようになって、それまで"携帯電話"と呼ばれていたものは、"ガラケー"と言う名前に変わりつつある。そのガラケーをなつかしく思い出す人も、ガラケー本体の色が「シャインチェリーピンク」(これは僕が、適当に作った名前だが)などといったように、よく分からない名前になっていたことは忘れてしまっているかもしれない。物の色のバリエーションが増え、さまざまに進化していくのは、色が使う人をよく表すからだろう。黒いものが好きで、黒いものばかり身に付けている人はそのような人だ。逆に、白いものを好んで、身の回りの物を白いもので揃えている人は、まったく違った性格をしているに違いない。前段の文章は、『渋滞』のワンシーンだが、小説の主人公である「私」は、「彼」のメガネについて、それが新しくなったということには、教えられるまで気付かなかったようだが、別のものだと知って、以前のメガネとの違いを見分けているあたり、普段から観察をかかさない非常に注意深い人物であるようだし、そこまでメガネをかけた顔に注目していたということは、「彼」に対して、少なからぬ好意を抱いていたということだろう。小さな違いに気づく観察眼のある「私」は、「彼」が就職したという、それだけで浮かれていることを、メガネの色だけで見抜いた。そして、浮かれた気分のままに、それを見せびらかした「彼」に、がっかりしたに違いない。最後に発された『なにやってんだよ』という言葉は、軽佻浮薄な「彼」に向けられた言葉であると同時に、「彼」が馬鹿であることを見抜けなかった「私」にも、同時に向けられているのかもしれない。そしてもちろん、『渋滞』などという小説はない。

ブログ「いらけれ」

明日というものが始まる前には、深夜という時間帯があって、そういえば、少し前のツイッターで、朝方の人間か夜型の人間かは、遺伝子によって決まっていて、逆らえないものだという研究結果が話題になっていたけど、それは、夜型の自覚がある人ならば、誰もが「言われなくても分かってるよ」って思うような、目新しさのない事実なのではないだろうか。夜に目が冴えるのや、朝の眠気に逆らえないのは、生活習慣の乱れでも甘えでもなくて、もっと大きな内なる力によるものだなんて、朝型の人には理解できないのかもしれないけれど。僕は、社会が朝型に向けて作られていることについては、しょうがないことだと思う。だって夜は、明かりがなければ活動できないわけで、その間に眠っておこうというのは、かなり自然なことのように感じるから。僕が不思議に思うのは、なぜ夜型の遺伝子の人間もいるのかということで、それは、ある種のエラーだとしてしまえば、味も素っ気もない結論だが、しかし先祖のなかには、皆が寝静まったあとに人知れず活動してきた者たちがいて、そういう人々の隠れた努力によって、朝方の世界が円滑に回ったり、守られたりしてきたと考えると、急に文学に近づく。だから何だ、という話だ。僕は、自分が夜型だからか分からないが、僕でも眠ってしまっているような深夜に、このブログへのアクセスの跡が残っていたりすると、まだまだ続けなければならないと思う。夜中にこれを読む人が、何を求めているか分からないし、何を求められても困るし、何も求められていないのかもしれない。何も求めずに、ただの暇つぶしとして読めるものを求めている人が読んでいるのだとしたら、なおさら、何を書いたらいいのか分からなくなってしまうが、「これを書いてくれ」と言われても、僕の能力ではそれを書けないだろう。ただし、昨日までに終わった一続きの日記を書く間に、僕は手ごたえを感じていて、こうすれば書けるというコツが分かった。面白くはないかもしれない。そもそも、文才がないのがいけない。それでも僕はやりたい。こんな仕事をしていてはいけない。自分のやりたいことを仕事にしたい。そう思っても仕事が辞められないのが、将来への不安のせいだとしたら、仕事を辞めたいという思いも、死ぬまでこのままかもしれないという不安から来ているのだと、自分を突き放してしまう。不安によって動かされているという意味では同じことで、不安によって動いてしまえば、それがどうなろうとも、心の中に新たな不安を生むだけだろう。楽天銀行のカードが簡易書留で届いて、初期設定を終えた僕は、10万円をメインの口座から下ろして、財布に入れて街に出たが不安だった。貧乏人にとっては、1万円だって、1日では稼げないとても大きな額となる。周囲を警戒しながら、ATMまで行って入金を終えた。新たに口座を作ろうと思ったきっかけは、ただただ、買い物のときのポイントが増えるからという程度の理由だった。でも、それならばなぜ、自分にとっての大金を入金したのかといえば、また株式投資を再開しようかなと思い始めたからだ。なんか、マネーブリッジというサービスを使えば、楽天証券の口座とも連携できるっていうから、よせばいいのにしてしまった。僕が、株で儲けたいと思っているのも、貯金が少なくて不安だからだ。不安まみれの僕は、死ぬまで幸せになれないのだろうな。

Courtney Barnett – Everybody Here Hates You (Official Audio)

we’re gonna tell everyone it’s ok
we’re gonna tell everyone it’s ok

ブログ「いらけれ」

その時の僕は、だから、エラーやバント失敗を連発したスワローズが、しかし、相手がみすみすチャンスを潰してくれたおかげで、10回表に大爆発して12点を取るような、なんとも喜べない勝ち方をするなんて知らないし、その日の昼間はアンケートに答えるために秋葉原へ行ったが、2月並みの気温のなか雨が降るなんて、知る由もなかった。本当に寒くて、4月だっていうのにヒートテックを着た。帰りに、いくら歩数が足りないからといって、それに、乗っていたのが拝島行きの急行だったから乗り換える必要があったからといって、小平駅で降りたのは大失敗だった。雨と寒さと寂しさで死ぬんじゃないかと、あと言っていなかったけれど、これは1500文字という長さの文章になるから、このスロースタートを心配しないでほしい。僕は知っている。二日前に「伝えたいことがある」と書いたことも、その伝えたいことが何かということも、一か月ほど前のツイッターに「めちゃくちゃ良い事があったので、今までのことはすべてチャラになりました」と書いた理由も。それは、学生時代から著作を読んでいた人と仕事が出来たという、人生の伏線回収のような出来事があったからだ。直接会うことはなかったけれど、回線越しに会話しているということだけで感動していた。それは文章の形で世に出たが、カットせざるを得なかった膨大な話は僕だけが知っている。話しているあいだ、あまりにも贅沢で幸福だったから、自然と笑みがこぼれていた。笑いといえば、最近聞いた『本と雑談ラジオ 第84回』が忘れられない。中原昌也著『パートタイム・デスライフ』について、なかで「読みながら忘れていく」と古泉智浩氏が語っているから、小説の作風のせいなのかもしれないが、枡野浩一氏共々、大爆笑しながらたくさん話しているのに、まったく本の内容が伝わってこない。そして、それでもなお、とても読みたくなったのが不思議だ。ストーリーがどこかへ行ってしまうほどに、思い出しながら爆笑して話してしまう文章、小説って、どのようなものなのだろう。二人が会話を続けている間中、ずっと幸福な空気があって、僕は、そんな文章を書いてみたいと思った。中原氏のような教養とセンスがなければ、とても無理だろうけれど。最近は他にも、『アフター6ジャンクション』の「サタニック人生相談祭り」を聞いた。『アフター6~』は、毎週追いかけているわけじゃないので、特集を見落としてしまっていたようだ。内容はタイトルそのまま、人生相談をするというものなのだが、もちろん、"サタニズム"という側(がわ)はあるものの、転職の悩みなどについて、とても誠実な回答がなされていて、聞いてよかったと思った。一度、自分の好きな人と仕事ができたぐらいでは、仕事への不満がすべてチャラになるわけではない。当然のことだ。言うまでもないことだが、僕が伝えたかったのは、これらのことではない!僕が伝えたいと思ったのは、クーポンでもらった「マチカフェコーヒーS(アイス)」の、その小ささだ。思っていたよりもだいぶ小さい!大巨人のおちょこみたいな大きさだ。氷が入っているから、余計に量が少なく感じる。ああ、小さいなあと思いながら、歩きながら飲んだら、すぐになくなって、ストローからずるずるという音が響いた。だけど、晴れた日の住宅街を一人で歩きながらコーヒーを飲んで、好きなラジオを聞いて、仕事もなくてという状況が、脳髄から快楽物質を出している。それがなんとも非常に気持ちよかったから、捨てる場所がなくて、手に持ち続けていたカップの中の氷と同じスピードで、僕のストレスも溶けていくのが分かった。絶好調の顔つきで僕は、家に帰った。